エッセイ 『有閑階級の理論 -制度の進化に関する経済学的研究- 』

エッセイ NO.18 『有閑階級の理論 -制度の進化に関する経済学的研究- 』
ソースタイン・ブンデ・ヴェブレン 著

 <印象に残った言葉>
 本書『有閑階級の理論』を読み、その中から印象に残った言葉を一つだけ選び出すという作業がかなりの難事であることは本書を読んだ人にとって共通の認識ではないだろうか。彼の洞察はファッションやギャンブル、スポーツなど多岐にわたり、その個別具体的な洞察を挙げれば切りがない。したがってここでは最初に私の目に留まり、彼の論の根底に流れる思想を垣間見ることのできる言葉を紹介する。

 「このような貧しい階級の場合でさえ、肉体的必要という動機の優越性は、しばしば推定されてきたほど決定的なものではない。もっぱら富の蓄積に関心を抱いている社会構成員や階級に関するかぎり、生存や肉体的な快適さという誘因はまったく重要な役割を果たしていない。所有権は、生存に必要な最低限といったものとは関係のない根拠にもとづいて開始され、人間の制度として成長したのである。支配的な誘因は富につきまとう妬みを起こさせるような栄誉であり、一時的であることと例外とを除けば、後の発展のどの段階においても、それ以外の動機がその優越性を奪うことはなかった。」

 この言葉は第二章「金銭的な競争心」の一節である。私はこの言葉に出会った瞬間、少なからぬ疑いの目を持って読まざるを得なかった。人間が行う財の消費や取得、富の蓄積への支配的な誘因は、著者の言うところの、生存に必要な最低限を満たすことではなく、他人に妬みを起こさせるような栄誉を得ることであるという。しかも、貧しい階級の場合でさえこの支配的な誘因を当てはめることができるという。当初疑問を感じていたこの言葉も、多岐にわたる具体的な洞察を読み進めるにつれて次第に真実味を帯びてくる。そこがおもしろい。つまり、この言葉は多くの事象を抽象化したモデルであり、後の章で実証されていく仮説なのだ。それ故、冒頭に登場するこの言葉は私に強烈な印象を与えたのだろう。

 <感想>
 ソースタイン・ヴェブレンの痛烈な洞察によって嘲笑われた有閑階級の人々は彼の指摘に対して顔をしかめるしかなかっただろう。『入門経済思想史-世俗の思想家たち-』(ロバート・L・ハイルブローナー著)の一節にもあるように「同時代の人々にはごく自然に見えた人間の行いが、彼にとっては人類学者の目に映る未開社会の儀式のような、魅力的かつ異国風で奇妙な行為に映った」のだから、常識を行動規範にしている人々にとって彼の時に皮肉を交えた指摘がどれほど不愉快で遣りづらかったのかは想像に難くない。

 さて、私はエッセイの最後に本書『有閑階級の理論』を読もうと昨年から決めていた。上記のように『入門経済思想史-世俗の思想家たち-』を読んだ際、彼を除く経済学者のほとんどは世の中の現状を肯定的であれ否定的であれ確固たる思想を持って眺めていたのに対して、彼は「現状がそうなっているのはなぜか」を突き詰めて考えることで客観性を保った考察を行っていたように感じたのである。価値判断の排除に徹底した研究は私にとって新奇であり、そういった目で世の中を眺めてきた偉大な経済学者の視点をその著書を通じて体感してみたかったのだ。

 まず、合理的経済人――合理的行動仮説に基づき、常に経済的な利益に従って行動する概念上のモデル――は私たちがよく耳にする言葉であるが、彼にとってはこの概念自体が人間の行動の本質から大きな隔たりを持っているものとして認識される。人間の経済活動は経済的な利益がもたらす効用を使った基準のみで説明できるほど単純ではなく、社会的、文化的、歴史的、そして制度的な条件によって漸く規定され、説明できるものとしている。正直なところ、私は彼のこの見解に対して目を疑った。(私が経済学の基礎の部分しか学んでいないことの暴露になるが)経済学を学び始めてからこの方、常に合理的経済人は図表の上を我が物顔で闊歩し、それ相応の説得力を持って私の前に立ちはだかっていたのであるから、彼のこの視点を多分に含んでいる冒頭で紹介した<印象に残った言葉>が私に強烈な印象を与えたことは理解できなくもない。また、彼の見解に疑問を抱くと同時に、安堵感を持ったのも事実である。社会や歴史といった条件を付帯させることによって、それまで経済人の行動規範だけでは腑に落ちなかった人間の行動を説明することが可能になるからだ。つまり、社会や文化、歴史などの条件が常識や習慣を創り出し、それらが人間の経済活動の行動規範を次々と規定していくのだ。したがって、彼が世の中を眺める時には従来の合理的経済人ではなく、新たに規定された行動規範に基づくモデルを使って説明を試みるのである。そして、そのモデルを抽出する際に必要となってくるのが、彼の天賦の才である客観的な視点と膨大な量の社会や文化など多岐にわたる歴史的な事実なのであろう。

 彼の指摘する顕示的消費や顕示的閑暇といった人間の行動は、したがって、1900年頃の常識や習慣――彼の言うところの制度――でしかない。それ故、現在では素直に受け入れることのできない見解もないわけではないが、それでもやはり、歴史的な事実に基づいて考察され規定された彼のモデルは<印象に残った言葉>も含め今も尚説得力を持ち続けている。「経済学者はヴェブレンを社会学者だと言い、社会学者は彼を経済学者と呼んだ」という話しがあるように、彼の洞察は経済学以外にもありとあらゆる知識が含まれている。エッセイを書くうちに明らかになったことだが、偉大な経済学者たちは様々な分野に精通している。中でもヴェブレンは哲学、文化人類学、民俗学、社会学、生物学、骨相学など群を抜いていたようだ。偉大なる思想は様々な知識を総動員して漸く創り上げられる知の結晶なのである。読み手である私はその偉大なる思想を如何に使いこなしていくか、それこそがエッセイを書き終えたこれから要求される大きな試練であろう。
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# by jokerish2 | 2006-09-05 16:40 | エッセイ(課題)

歴史 『危機と克服(上)』

歴史 No.43 『危機と克服(上)』 塩野 七生 著

 失政を重ねローマ帝国に混乱をもたらした最後のユリウス・クラウディウス朝の皇帝ネロがその人生に終止符を打った翌年、ローマ帝国にはガルバ、オトー、ヴィテリウスという三人の皇帝が現れては消えていった。彼ら三皇帝は統治力のなさ故、短期間で破滅し、ローマ帝国の内戦を引き起こしてしまう。

 さて、この三皇帝の統治を顧みると、著者も言うようにやるべきことをせずにやるべきでないことばかりを行っている。そう考えると、カリグラやネロの方がまだましだったのではないかと思わざるを得ない。どちらにせよ、この三皇帝に明らかに欠如していたのは人心掌握の策ではないかと思う。元老院やローマ市民、軍の心を掴まなければ政治などできたものではない。ローマ帝国での皇帝は承認されて初めて成立するのであるから当然と言えば当然であるが、当の三皇帝はこの感覚が欠如していたようである。これでは皇帝が勤まるはずもない。この絶望を救うのはいったい誰になるのか、次巻が楽しみである。
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# by jokerish2 | 2006-08-09 22:38 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『危機と克服(中)』

歴史 No.44 『危機と克服(中)』 塩野 七生 著

 ガルバ、オトー、ヴィテリウスの三皇帝が倒れた後、次なるローマ皇帝に抜擢されたのはヴェスパシアヌスであった。三皇帝による内乱と同時期に起こっていた西方のゲルマン系ガリア人の反乱と東方のユダヤ人の反乱を解決することが彼に課せられた最初の問題であったが、息子のティトゥスや協力者ムキアヌスに助けられ解決してゆく。時代が必要としていた健全な常識を持ち合わせた皇帝ヴェスパシアヌスは混乱のローマ帝国を救う救世主となった。

 さて、ヴェスパシアヌスの治世を概観して思うのだが、相変わらず善政を行う皇帝の下には優秀な協力者がいるということだ。これは皇帝の人選眼の善さに尽きると思う。よき右腕を見つける才能も成功への1つの要素と言えるのだろう。確かに日常生活に当てはめてみても、うまくいっている組織のトップの下には優秀なブレーンがいる。つまるところ、人選眼という能力は皇帝であるために欠かせない能力の中でも上位にくるものなのだろう。

 印象に残った一節。

 「民主制を守るために全員平等を貫くしかなかったギリシアの都市国家アテネが、意外にも、他のポリス出身者や奴隷に対して閉鎖社会であったという史実。そして、共和制時代には元老院主導という形での寡頭制、帝政時代に入ると君主制に変わるローマのほうが、格段に開放社会であったという史実は、現代でもなお一考に価すると確信する。」
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# by jokerish2 | 2006-08-09 22:38 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『悪名高き皇帝たち(四)』

歴史 No.42 『悪名高き皇帝たち(四)』 塩野 七生 著

 4代目皇帝クラウディウスは妻であるアグリッピーナの野望の犠牲となり死亡した。そして、その後を継いだのが養子であった当時16歳のネロであった。誰からも歓迎された5代目皇帝ネロであったが失政に失政を重ね、終には「国家の敵」と断罪され、彼の人生とともにカエサルやアウグストゥスが築き上げた「ユリウス・クラウディウス朝」にも終止符を打つことになった。

 さて、ネロと言えば悪名高き皇帝たちの中で最も耳にする名前のように思う。しかし、彼の治世を概観するかぎりティベリウスやクラウディウスの治世の方が印象的であるし、重要な役割を担っていたようである。しかしながら、よく名を聞くのはネロである。何故か。それは彼がキリスト教徒の弾圧を行ったからではなかろうか。いや、そうであろう。現代にまでキリスト教が続いていなかったならば、彼の行った弾圧に対して歴史は見向きもしなかったといっても過言ではないかもしれない。歴史というものはバイアスなしに見ることができないという性質がつきまとう。それを考慮してネロを見ると、なんとも可哀相である。
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# by jokerish2 | 2006-08-09 22:35 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『悪名高き皇帝たち(三)』

歴史 No.41 『悪名高き皇帝たち(三)』 塩野 七生 著

 若き皇帝カリグラの後を継いだ四代目皇帝は50歳まで歴史家として生きてきたクラウディウスであった。彼にはカリグラの愚政によって失われた人々の信頼を回復し、内政、外政ともに山積する問題を解決することが課せられた。彼はゆっくりではあるが、一歩一歩着実に問題を解決してゆく。悪妻と言う慢性的な問題を抱えつつも。

 さて、彼の治世を概観すると、統治をする人間にとって歴史を知っていることの重要性を見せ付けられる。特に長髪のガリア人たちに元老院の議席を与えるか否かを議論した際の彼の論は、ローマがここまで繁栄してきた本質を押さえたものであり、歴史を知らない者には到底辿りつかない結論に導く。もちろん歴史偏重では意味がなく、現状を踏まえた上での歴史の応用が重要になってくるのは言うまでもない。その力も彼には備わっていたようだ。彼の統治は、歴史からある一定の法則や本質を見抜いておくことが今を生きる私たちにとって重要な意味を持つということを再確認させてくれるものであることは間違いないだろう。
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# by jokerish2 | 2006-08-09 22:34 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『悪名高き皇帝たち(二)』

歴史 No.40 『悪名高き皇帝たち(二)』 塩野 七生 著

 本巻は二代目皇帝ティベリウスの後を継いだカリグラの治世を描いている。彼は何にも抗されることなく、万人に歓迎されて即位した初めての皇帝だった。その人気を失うことを恐れたためか、彼の行う政治は言わば人気取りの政治であり、ティベリウスが築き上げた財源はいとも容易く消費された。人気取りには才を発揮したカリグラも愚政が仇となり無残な最期を迎えることになる。

 「普遍とは、それを押し付けるよりも特殊を許容してこそ実現できるものである。」

 人気取りに従事したカリグラの治世で印象に残ったことは、正直少ない。しかし、ユダヤの統治に関して上記の一節は参考になったので紹介する。この一節は、カリグラがユダヤ統治を上手く行ったために生まれた教訓ではなく、失敗したがために生まれた教訓である。これまでに登場したローマの指導者たちは皆、このバランス感覚が優れていたように感じる。しかし、カリグラは違った。そこが彼に愚政を行わせた原因であったのではないかと思う。ローマ人たちは今回の経験を活かして、統治能力を持ち合わせた指導者を見つけることができるのかが、この先ローマの存続の鍵を握っていくのだろう。
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# by jokerish2 | 2006-08-09 22:33 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『悪名高き皇帝たち(一)』

歴史 No.39 『悪名高き皇帝たち(一)』 塩野 七生 著

 本巻は帝政を築き上げたアウグストゥスに続くローマ皇帝ティベリウスの治世について描かれている。彼は人々から嫌われ、カプリでの政務に至っては非難を浴びる。それでも元老院からは神格化を提案されるなど、統治者としての資質は事欠かなかったようである。また、彼の業績を讃え、彼に捧げる神殿を建てたいとの提案に対して、彼が断った際の言葉は彼の政治や生き方に対するスタンスをよく表しているので紹介したい。

 「わたし自身は、死すべき運命にあたる人間の1人にすぎない。そのわたしが成す仕事もまた、人間にできる仕事である。あなた方がわたしに与えた高い地位に恥じないように努めるだけでも、すでに大変な激務になる。
 この私を後世はどのように裁くであろうか。私の成したことが、我が先祖の名に恥じなかったか、あなた方元老院議員の立場を守るに役立ったか、帝国の平和の維持に貢献できたか、そして国益のためならば不評にさえも負けないで成したことも、評価してくれるであろうか。
 もしも評価されるのであれば、それこそがわたしにとっての神殿である。それこそが、最も美しく永遠に人々の心に残る彫像である。他のことは、それが大理石に彫られたものであっても、もしも後世の人々の評価が悪ければ、墓所を建てるよりも意味のない記念物にすぎなくなる。わたしの望みは、神々がこのわたしに生命のある限り、精神の平静とともに、人間の法を理解する能力を与えつづけてくれることのみである。」

 人事の才にも秀でていたといわれるティベリウスだけあって、さまざまな対象に配慮し、自らの立ち位置を考慮した素晴しい言葉であると思う。
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# by jokerish2 | 2006-08-09 22:31 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『パクス・ロマーナ(下)』

歴史 No.38 『パクス・ロマーナ(下)』 塩野 七生 著

 パクス・ロマーナが成立し、アウグストゥスの帝政がほぼ完成した今、残された課題は後継者を誰にするかの選択であった。彼が後継者として選んだ息子たちはいずれも若くして命を落としてしまう。さらに生き残ったティベリウスも引退している始末。カエサルとアウグストゥスが基礎を構築した帝政ローマは果たしてローマに根付くのだろうか。

 結局アウグストゥスは70代後半まで生きた。晩年になってティベリウスが復帰するまではアグリッパとマエケナスの死後はほとんど一人で政治という日々のプレッシャーの中で生き抜いた。小林秀雄によれば「政治とはある職業でもなくある技術でもなく、高度な緊張を要する生活」であるという。この状態を生き抜くのに必要な資質は認識力であり、持続力であり、適度な楽観性であり、バランス感覚。確かに彼の治世はこの四つの資質を必要とした治世であったように思う。少し楽観性が足りなかった感は否めないが、それでもバランスの取れた力を持っていたようだ。まだ17歳だったオクタヴィアヌスを見てこの資質を見抜いたカエサルはただならぬ人物であるといわざるを得ない。この力こそがアウグストゥスがカエサルに劣る最大の欠点であろう。
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# by jokerish2 | 2006-08-09 22:30 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『パクス・ロマーナ(中)』

歴史 No.37 『パクス・ロマーナ(中)』 塩野 七生 著

 上巻に引き続き、アウグストゥスの政治は巧妙を極めた。決して「帝政」という言葉を口にすることなく、以後のローマに帝政を既成事実に持っていくそのやり方は実に上手い。市民や元老院の支持を背景に同胞アグリッパ、マエケナスとともにパクス・ロマーナの基礎は形作られてゆく。

 著者も言うように、カエサルに比べるとアウグストゥスの治世には迫力が欠ける。それはローマが平和であるからこそであり、仕方のない部分ではあるがやはり物足りなさを感じざるを得ない。しかしながら、派手な戦がない分、彼の治世には政治が目立つのも事実である。中でも私が気になったのが軍事の再編成をする際の彼の洞察力であり、職業に勤務年限制度がなかった時代に彼はそれを定めた点である。給料と退職金とのバランスを考えた勤務年限は、現代の専門的な職業に従事する人々に示唆する部分が多分に含まれている。
 
 また、カエサル同様、彼も一つのことを一つの目的ではやらない人物であり、マキャベリの「如何なる事業も、それに参加する全員が、内容はそれぞれちがったとしても、いずれも自分にとって利益になると納得しないかぎり成功できないし、その成功を永続させることもできない」という言葉も、カエサルとアウグストゥスの政治を上手く形容しているように思う。
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# by jokerish2 | 2006-08-09 22:29 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『パクス・ロマーナ(上)』

歴史 No.36 『パクス・ロマーナ(上)』 塩野 七生 著

 アントニウスを追いやりローマに平和が訪れた。オクタヴィアヌスはカエサルの意思を受け継ぎ帝政を目指すかのように見えた矢先、彼は共和制への復帰を宣言した。それに狂喜した元老院はオクタヴィアヌスにアウグストゥスの尊称を贈るなど彼に多くの名誉を与えた。しかし、これはアウグストゥスが帝政を成し遂げるための布石であったのだ。王政を連想させる上辺の職名は返上し、事実上帝政を成し遂げるために必要な力を徐々に手中に収めていく様は巧妙と言わざるを得ない。さすが、天才カエサルが見込んだだけのことはある。
 さて、ここで感じることは、使える時間が多いというのは政治を行うにあたって大きな武器になると言うことである。内政に着手し始めた年齢が50代であったカエサルと異なりアウグストゥスは40代であり、時間をかけて帝政へと導くことができた。それも帝政を目論んでいると気付かれないように。カエサルの不幸から得られる教訓として、急ぐあまりに強行になりすぎることは自らの首を絞めることになりうると言うことだろう。
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# by jokerish2 | 2006-08-09 22:28 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『ユリウス・カエサル ルビコン以後(下)』

歴史 No.35 『ユリウス・カエサル ルビコン以後(下)』 塩野 七生 著

 「人間ならば誰にでも、すべてが見えるわけではない。多くの人は、自分が見たいと欲する現実しか見ていない。」ユリウス・カエサルはそんな十四人に殺された。

 彼の暗殺後、彼の遺言書に記された後継者は若き少年オクタヴィアヌスだった。カエサルが指名した人物だけあってオクタヴィアヌスの政治力は優れ、相棒アグリッパとの二人三脚でカエサルの残した壮大な構想は一つ一つ着実に受け継がれてゆく。

 本巻で注目すべきはやはりオクタヴィアヌスの巧妙な政治であろう。特にアントニウスに対する彼の洞察力見物であった。軍事力を背景に力を持っていたアントニウスに対し三頭政治を画策し相対的な力関係を弱めていくのはもちろん、アントニウスの行動一つ一つを反ローマな行為であると世論をうまく誘導し、結果的に彼の独り舞台へと持っていく様は見事であった。追いやられたアントニウスに政治の素質がなかったのも事実ではあるが、アントニウスの行動を所与の条件として状況を改善していくオクタヴィアヌスの能力は卓越していた。カエサルの意思を継いだオクタヴィアヌスは戦いの終わったローマを今後どう導いていくのだろうか気になるところである。
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# by jokerish2 | 2006-08-09 22:27 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『ユリウス・カエサル ルビコン以後(中)』

歴史 No.34 『ユリウス・カエサル ルビコン以後(中)』 塩野 七生 著

 ポンペイウスの死後、ポンペイウス残党の蜂起を鎮圧し、漸く内政に着手できる状態になった。政治改革をはじめ、金融改革、行政改革、属州統治改革、司法改革はもちろん福祉や失業、殖民、治安、交通と漏れなく改革を実行し新体制樹立を目指した。また、自身も終身独裁官となり名実ともに帝政へと近づいてゆく。その最中、不幸は突然襲いかかってきた。ユリウス・カエサルは暗殺されたのである。彼の寛容さと群を抜いた才能が招いた結果であった。前巻でも書いたように彼の考え方は、あのキケロですら理解できなかったようである。王政アレルギーのローマはカエサルが王位を狙っていると誤解し彼を暗殺してしまった。やはり天才は理解されないものらしい。偉大なる指導者を失ったローマは一体どこへ向かうのだろうか。
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# by jokerish2 | 2006-08-09 22:26 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『ユリウス・カエサル ルビコン以後(上)』 

歴史 No.33 『ユリウス・カエサル ルビコン以後(上)』 塩野 七生 著

 「わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々も、そうあって当然と思っている。」

 ルビコンを越えたユリウス・カエサルは国賊扱いになり、スッラの再現を恐れた元老院議員たちはローマを離れギリシアへ向かう。そのギリシアでカエサルはポンペイウス軍と雌雄を決することになる。圧倒的不利な状況のカエサルだが持ち前の戦略眼で徐々にポンペイウス軍を追い詰めてゆく。その過程が従来のローマを彷彿とさせる。彼は降伏した人々に対して勝者の権利を行使せず、冒頭にあげた思想に基づき、彼らを解放するのである。後の政治をやりやすくするために取られた配慮ではあるにせよ、カエサルは未だに多くの問題を抱える人権にいち早く着目した人物ではなかろうか。物事の心理を巧みに突いた行動であるように思う。しかしながら、群を抜いたこの能力こそが後の運命を決めてしまう気がしてならない。やはり天才とは理解されないものなのだろう。
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# by jokerish2 | 2006-08-09 22:25 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)』

歴史 No.32 『ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)』 塩野 七生 著

 本巻ではユリウス・カエサルがついにガリア平定を成し遂げる。しかし、数々の偉業を成し遂げてきた彼を待ち受けていたのは凱旋式ではなく、反カエサルによって謀られた元老院最終勧告であった。国賊になってまで「やる」か、それとも「やられる」かの選択を迫られ、彼は「やる」を選ぶ。その際注目に値するのが、彼が率いる兵たちが彼に従った一事である。彼らはルビコンを越える前に解散していれば国賊にならなくてもすむのにも関わらず、カエサルに従うことを選ぶのだ。ガリア戦役中にも要所要所で力を発揮してきたカエサルの言葉が兵たちを従わせたようである。彼の言葉には人を惹き込む力があるようだ。彼に従っていない私でさえ、彼の言葉を読んで、彼になら従っても良いと思ったくらいである。読み進めるにしたがって、次々に明らかになってくるユリウス・カエサルの能力の数々に脱帽するしかない。一体彼はどれだけの能力を秘めているのだろうか。
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# by jokerish2 | 2006-08-06 22:38 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『ユリウス・カエサル ルビコン以前(中)』

歴史 No.31 『ユリウス・カエサル ルビコン以前(中)』 塩野 七生 著

 前巻に引き続き本巻ではユリウス・カエサルについて、特にガリア戦役1年目から5年目にかけて記述されている。この頃彼は40歳を迎えており、多くの偉人たちと比較すると遅咲きと言えるだろう。彼はこの5年間に渡る戦役の中で次々とガリアを平定してゆくのだが、そのやり方が実に巧妙である。著者も度々指摘しているように、彼は1つのことを1つの目的では行わないのである。行軍の進路1つをとっても、この行軍によって影響を受ける全ての主体がどういった行動をとるのかを予測し、次なる手を打つ際に都合が良くなるように先読みをしている。しかも、その先読みは敵の行動だけでなく、見方の兵に対しても、ローマの内政に対しても行われる。敵の1手先を読むのであれば並みの武将である。彼のように2手も3手も先を読み効率的にガリアを平定に向かわせたのは、その類稀な能力であったようだ。まるでローマ全体を空から見下ろしているかのような彼の視野を彼は一体どこで会得したのだろうか。その答えを得られず、気になって仕方がない。
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# by jokerish2 | 2006-08-06 22:37 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『ユリウス・カエサル ルビコン以前(上)』

歴史 No.30 『ユリウス・カエサル ルビコン以前(上)』 塩野 七生 著

 これまでの巻では1人の人物に注目しすぎず通史的にローマを描いていたが、本巻ではユリウス・カエサル1人に注目し、少し時代を遡ってまで彼の幼年期・少年期・青年期について記述している。これを読むと、彼の青年期以前は傍から見ると災難続きであったように見える。内政の不安から国外に脱出しなければならない立場におかれたり、借金まみれの生活を送ったりと散々だったようだ。女性にもてすぎたのもある意味災難ではなかったかと思う。とは言え、これらの経験があったからこそ偉大なるユリウス・カエサルが誕生するのであって、後の巻ではこの経験がどのように生きていくるのかを観察していきたいと思う。
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# by jokerish2 | 2006-08-06 22:36 | 本:歴史・ノンフィクション

映画 『エミリー・ローズ』

映画 NO.29 『エミリー・ローズ』

 悪魔が取り付いた女の子の話。その彼女は結果的に死んでしまうのだが、彼女の悪魔祓いを引受けた神父が過失致死罪で訴えられ、作品ではその法廷論争を描いている。悪魔が存在するか否かはよくわからないが、この作品のおもしろいところは法廷での検察側と弁護側の論争であろう。陪審員制度がどのような仕組みになっているのかがよくわかる。客観的に裁判を見るならば、あれは陪審員に対するプレゼン対決に他ならない。真偽にかかわらず有能な弁護士を見方につければ負けるはずがないのではないだろうか。悪魔と言う非現実的な話を法廷という現実的な世界で立証するための工夫の連続に興味をそそられ、とてもおもしろい作品であった。ただちょっと怖い。
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# by jokerish2 | 2006-05-07 10:46 | 映画

歴史 『人斬り以蔵』

歴史 No.29 『人斬り以蔵』 司馬 遼太郎 著

 本書は人斬り以蔵をはじめ、司馬遼太郎の著書の中に登場する言わば脇役たちに焦点を当てた短編集である。どの作品もさすが司馬遼太郎、鋭く観察されたそれぞれの主人公たちは長編で主人公をつとめる坂本竜馬などに引けを取らないくらい独特の人生観や行動規範を持って描かれている。中でも本書のタイトルになっている人斬り以蔵こと岡田以蔵の生涯はとても興味深かった。武市半平太や坂本竜馬といった他者に対して異常なまでの影響力を持つ人間の前に自らの意思を持たない人間がいると、これほどまでに正反対の二つの行動ができるものなのだなと、かなりの驚きを感じた。確かにわたくし自身に当てはめて考えてみれば納得がいくかもしれない。わたくし自身の行動、それは今までに出会った多くの人の影響を受けている。高校生まではすぐそばにいる人物、大学生になってからは少し行動範囲が広がったものの、やはり近くにいる影響力を持った人物の言うことに影響を受け、それを行動規範として生きてきた。自らの考えを持っていないこと、それは自らの存在意義を見失わせる原因になりかねない。他人にうまく使われるだけの人生にもなりかねない。自ら考え、納得した上で受け入れる。当たり前のことかもしれないが、自分の意思や考えを持った上で行動することは必要なようである。
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# by jokerish2 | 2006-04-09 18:22 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『燃えよ剣(上)』 

歴史 No.27 『燃えよ剣(上)』 司馬 遼太郎 著

 新撰組副長土方歳三の生涯を描いた作品である。上巻には喧嘩好きの武州者に過ぎなかった土方歳三が、誰もが恐れる幕末の最強集団新撰組をいちから作り上げる様子を描いている。

 土方歳三は組織作りに関して天才的な力を発揮する。とにかく強い集団にしたいと考えていた土方は、厳しい隊則を作るなどとにかく規律が緩むことや足並みが乱れることを嫌った。現代の学校や職場などの組織とは逆行するやり方で新撰組を強くしようと考えたのだった。そんな厳しい規制の中から生まれてくるオリジナリティ溢れる新撰組の幹部の面々を現代の組織に生きる人々と比べると、どちらが際立った個性を持ち合わせているのかがとても興味深かい。もしかすると厳しい規制の中で飛び出てくる人間の方が、飛び出すためのエネルギーが必要な分、個性的であるのかもしれない。土方歳三の組織の作り方は、他にも目を見張るものが多くおもしろい。
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# by jokerish2 | 2006-04-09 18:21 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『燃えよ剣(下)』

歴史 No.28 『燃えよ剣(下)』 司馬 遼太郎 著

 下巻では、池田屋事件以降、土方歳三の作り上げた新撰組が京において勢力を増していく状況、そして鳥羽伏見の戦いを境に劣勢となっていく状況の中で土方歳三が何を考え何のために戦い続けたかが描かれている。

 さて、本巻で私の印象に残ったのは土方歳三の女性観である。彼は新撰組を結成してからは色恋沙汰がほとんどない。時にあったとしても隊士に他言しないのだが、彼は官軍との戦争が始まる直前に好きな女ができる。そしてその女に対する感覚が鋭い。彼自身の気持ちがそれまでの女とこの女とで違うことに気付き、一般的な言葉にしてしまえば「恋」がわかり始めてくる。それ以降の彼の生き方の変化を見ていると、仕事に明け暮れる男性にとっての女性の存在意義が見えてくる。その女性観が非常にかっこいい。自分の人生が自分ひとりのものでなくなる瞬間とでも言えようか、そんな瞬間を私も感じてみたいと思った。
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# by jokerish2 | 2006-04-09 18:21 | 本:歴史・ノンフィクション

映画 『こぎつねヘレン』

映画 NO.27 『こぎつねヘレン』

 カメラマンの母親の仕事の都合で北海道にいる獣医のもとに預けられた小学生の太一。彼はある日、母親からはぐれた子ぎつねを発見。子ぎつねにシンパシーを感じて拾ってしまった太一だが、実は子ぎつねは目も耳も鼻も不自由だった。そこで太一はヘレンと名づけて親代わりに育て始めるのだが。といった小学生向けに作られた作品。
 やや美しく作りすぎている感じはするが、命の大切さや、子供の素直さなどが伝わってくる。また子ぎつねの表情が愛らしく見ていて和んでしまう。お子様にどうぞ。
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# by jokerish2 | 2006-04-09 18:19 | 映画

映画 『東京タワー』

映画 NO.28 『東京タワー』

 登場する人物のほとんどを理解することができなかった。唯一理解できたのは加藤ローサのみ、岡田准一、松本潤、黒木瞳、寺島しのぶ、その他ほぼ全ての人々は私の知っている人間の思考回路ではない。もしかしたらこれが大人の世界なのかもしれない、そう思い込み、納得するしかなかった。この作品に共感する女性は多い、とすると私の理解を超える人々が世の中には少なからずいて、そんな人々とこれから関わりを持って生きていかねばならないのだろうか。歪んでいると思うのは私だけなのか、固定観念に縛られすぎているのだろうか、人を信じる自信をなくしそうだ。
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# by jokerish2 | 2006-04-09 18:19 | 映画

映画 『私の頭の中の消しゴム』

映画 NO.26 『私の頭の中の消しゴム』

 韓国映画ならでは。感情移入して観ている間は涙も出る。大切な人の頭の中から自分の存在が消えていく、それはすごく恐いことであるし、悲しいことであるから。しかし、ただそれだけという印象は否定できない。この作品を見ることで、何かを考え始める切欠になるほどのインパクトはなかった。涙を流したい時に観るならば私は拒みはしないと思う。
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# by jokerish2 | 2006-04-09 18:18 | 映画

映画 『みんなのいえ』

映画 NO.24 『みんなのいえ』

 一見すると相反する判断軸を持つ2人が1つのものを作ってゆく過程で判断軸の根底に共通の思想が存在することを見出してゆく。世の中、対立した論陣にいたとしても、議論を重ねれば目的は同じことが判明することは多々ある。要は手段をどうするかであり、馴染の手段に固執してしまっているだけなのだろう、対立する人々は。
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# by jokerish2 | 2006-04-09 18:16 | 映画

映画 『the 有頂天ホテル』

映画 NO.25 『the 有頂天ホテル』

 「ラヂオの時間」「みんなのいえ」に続く三谷映画。作品の中に様々なストーリーがちりばめられており、観ている方は正直忙しい。しかし、そこがこの映画のいいところでもあり、同時並行で進む幾つかの話のつなげ方は愉快で楽しい。ただ、私の観察力がないためだと思うが、見終わった後におもしろいしか残らないという意味では少し物足りなさを感じる作品だった。笑いたい時にはいいと思う。
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# by jokerish2 | 2006-04-09 18:16 | 映画

映画 『ALWAYS 三丁目の夕日』

映画 NO.23 『ALWAYS 三丁目の夕日』

 東京タワーができる頃の東京、集団就職のため田舎から東京に出てきた子とその周りの人々を描いた作品。当時生きていた人が上手くできていると言っていたので見に行った。自分の親の世代はこんな世の中で生まれ、そして生きてきたのかと素直に感嘆してしまった。道や建物、全ての住環境が数十年でこうも変わってしまうのかと、わかってはいたものの驚きは隠せなかった。また驚いたと言えば、当時の近所との人間関係もそうである。家の中にいても、外に出て行っても、必ずそこには人の目があり、コミュニケーションの連続が強いられる。今を生きる私にとって、それは鬱陶しくもあるが、また暖かくもあり、ともて羨ましかった。

 この映画を見て考えることは非常に多い。この感想には書かなかったかが、経済成長がもたらした様々な問題はこの時代と対比することでわかることも少なからずあるはずである。この先、この作品に関しては感想を書き足していこうと思う。
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# by jokerish2 | 2006-01-04 17:14 | 映画

映画 『さよなら、クロ』

映画 NO.22 『さよなら、クロ』

 ひょんなことから中学校に住みつき、学校の一員となった犬、クロの話。ストーリーは真新しいものでもなく、また映像も特に凝ったつくりではなかったためか、それほど強い印象は残らなかった。しかしながら、人間の自分本位な思考によってクロを追いやろうとする側面とクロの従順さの側面とが強いコントラストを出しているため、後者が非常に象徴的な印象を私に与えたのは確かである。従順、言い換えれば素直とも捉えられる犬の―クロの―性格が自分以外を思いやる気持ちの大切さ、それがもたらす温もりみたいなものを伝えているような気がした。もちろん、これは私の勝手な想像なのだが。
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# by jokerish2 | 2006-01-02 18:06 | 映画

映画 『花とアリス』

映画 NO.21 『花とアリス』

 いつもの感想なら映像の美しさをほめるところだが、岩井俊二監督の作品なので言うまでもないかと思う。そこで今回は作品の内容についてコメントしようと思ったのだが、一つ一つの場面が独立した短編映画のように感じられ、しかもその場面場面に明らかにメッセージを含ませている意図は窺えるものの、それを使ってどのようなメッセージを伝えようとしているのか、また全体の流れの中でどういった役割を担っているのかがわからず、難解な印象を持ったとしか言えないのが正直な感想である。しかしながら、『リリィ・シュシュのすべて』の時とは対称的に光を多く取り入れて神秘的な映像に仕上げているためか、解放的な印象を受けた。事実映像と相俟ってか、観終わってから「解放」という言葉が頭に浮かんだ。正直、この解放が何を意味するのか自分でもよくわからない。何度も観なおしたい作品である。映像を見るだけで観る価値はある。
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# by jokerish2 | 2006-01-02 18:05 | 映画

映画  『リリイ・シュシュのすべて』

映画 NO.20 『リリイ・シュシュのすべて』

 前評判で観る人によって賛否が分かれると聞いていたが、私は残念ながら後者である。内容があまりにも陰鬱で好きにはなれない。確かに少年時代の暗くそして残酷な部分を上手く映し出しているとは思う。しかし、映画を観ることで明るい気分になることを意識の根底で求めている私にとっては、観たいと欲しない陰鬱な内容は印象に残らず、無味乾燥な暗い作品として捉えてしまった。一方で、素晴しいと思った部分もある。それは場面場面の構図である。『Ray』同様、1枚の写真として切りとっても人を惹き込むに十分な美しさがある。写真好きな私はそこばかりに目がいってしまった。
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# by jokerish2 | 2006-01-02 18:00 | 映画

映画 『いま、会いにゆきます』

映画 NO.19 『いま、会いにゆきます』
 
 内容はいわずもがな。この映画を観て久しぶりに大泣きした。最も強く感じたことは大切な人がいる生活がどれほど幸せなものでどれほど掛け替えのないものなのかということ。60億を超える人の中でたった1人の人がいるだけで、人生というものは想像しがたいほどの彩を帯びてくる。もちろんそれは幸せばかりではなく切なさや悲しさも含んだ幸福という彩。私もそんな色彩に富んだ人生を送りたいという憧れを抱かずにはいられなく、とても心温まる作品だった。
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# by jokerish2 | 2005-12-28 16:15 | 映画