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エッセイ 『マルサスとリカードの陰鬱な予感』

 エッセイ NO.9 『マルサスとリカードの陰鬱な予感』
 R.L.ハイルブローナー 著

 アダム・スミスの調和的世界と言う楽観的なヴィジョンが提示されてから数十年、早くも彼とは180度異なる思想、つまり時代の視点を楽観論から悲観論へと変えてしまう二人の人物が登場する。その人物こそマルサスとリカードである。

 マルサスは著書『人口論』の中で「人の数は幾何級数的に増えるのに対して、耕作可能な土地の量は算術級数的に増えるのみである」と、続けて「その結果、大飢饉が背後からそっとしのびより、世界の食糧水準と人口を同じにしてしまう」と述べている。それ故彼は人口拡大を助長する貧民救済の撤廃を力説するなど、世間に「道徳的抑制」を迫るのだが、それが不道徳とみなされ30年間も人々に罵られることになる。

 一方、リカードは「誰もが一緒に進歩のエスカレーターを昇っていくという社会理論の終焉」を予見し、現状の社会から利益を得ることができる唯一の存在である地主を否定している。中でも国内の既得権益を擁護するために制定された穀物法に対して「地主の利益はあらゆる他の階級の利益に反している」と、より一層痛烈な批判を浴びせた。また彼は人々に罵倒され続けたマルサスとは異なり社会的地位と尊敬を手に入れることができた人物でもある。

 以上のように彼らは社会を悲観的に見ていたという点では同じであったが、その他の点では相反する人物であった。現実世界を観察し地主擁護を主張する学者のマルサス、理論家肌で地主を批判する実業家のリカード、この形容を見るだけでも主張、立場、思考が違うことがよくわかる。それでいて、この二人が親友と言うから尚興味を引く。彼らが後世まで名を残せたのは、互いに違った視点から議論を交わせる親友がいたからではないだろうか。切磋琢磨できる親友がいること、それ以上に自らを成長させる外部要因はないだろうと思う。
by jokerish2 | 2005-05-29 21:03 | エッセイ(課題)
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