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本 『ワールドカップの世界地図』

 本 NO.5  『ワールドカップの世界地図』 大住 良之 著

 2002年には日韓ワールドカップが開催されサッカーが日本中の注目を集めた。そして来年にはドイツワールドカップが控えている。日本代表はアジア予選を突破し出場の切符を手に入れた。ますますサッカー熱が過熱する中、本書はワールドカップをより楽しむためにサッカー初心者の方に薦めたい一冊である。

 私はよく調子が悪い時に有名なゴールシーンを見て気持ちを高めている。そのゴールシーンとは86年メキシコ大会アルゼンチン対イングランドのマラドーナの5人抜きである。理由はよくわからないが、あのシーンを見ると私はとにかく興奮してしまう。一回見ていただければわかると思うが、あのシーンにはワールドカップの醍醐味がつまっていると私は考えている。まさにスペクタクルという言葉がふさわしい。本書の中にもこのシーンを含め、数々のワールドカップ伝説が書かれている。世界中で十数億人が熱狂するワールドカップの雑学を学ぶには良い本であった。
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by jokerish2 | 2005-06-28 11:02 | 本:その他

歴史 『イエスの生涯』

 歴史 NO.10  『イエスの生涯』  遠藤 周作 著

 本書は著者が聖書、福音書の他、過去に書かれたイエス伝から真のイエスを推理した小説である。強引な推測も多々見受けられるものの、全体としてはなるほどと頷けるものであった。

 イエスは生涯に渡り彼の描きつづけた神の愛、愛の神を誰に理解されることもなかった。人々は無力な愛よりも現実的な効果をもたらす力を神に求めていたのだ。それ故、人々は愛を唱えるだけのイエスが無力と知るや否や彼を見捨てる。弟子たちでさえも彼を裏切り見捨てた。そして、全てに見捨てられたイエスは磔刑を宣告され、その生涯を終えることになる。

 私はイエスがその死後に神とたりえた所以は数多くの伝説ではなく、十字架につるされながら語った言葉にあるように思う。彼を見捨てた人々や裏切った弟子たちにさえ、彼は許しを神に請うたのである。私には到底理解できぬ心境である。こんな人がいるのかと素直に驚いてしまった。

 いずれにせよ、これらが事実かどうかは不明である。しかしながら、著者は言う「これらは事実ではないかもしれないが真実である」と。確かに事実ではないかもしれない真実の存在がイエスを支えているのかもしれない。
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by jokerish2 | 2005-06-28 10:13 | 本:歴史・ノンフィクション

コラム 『スポーツ振興くじtoto3,出足好調』

コラム NO.4 『スポーツ振興くじtoto3,出足好調』

< 要約 >
スポーツ振興くじ(サッカーくじ、toto)の売り上げ回復策として新たに5月から発売された「totoGOAL3」の滑り出しが好調。「totoGOAL3」は6チーム(3試合)の得点を予想する手軽さで売り上げを伸ばし、試合の勝敗を予想する「toto」と合わせて、昨年の総売り上げを超える勢いだ。
ただし、totoGOAL3の伸びに対し、それにつられたtotoの売り上げ増は見られず「新規の顧客を獲得するまでの影響は出ていない」というのが販売元の分析。また先週、今週はJ2を対象としたtotoGOAL3のみの販売で、「せっかくいい状態でスタートしただけに、心配している」と広報担当者。J1が再開される7月からが、真の意味で新くじが定着するかどうかの正念場となる。(読売新聞)

< 見解 >
「totoGAOL3」の導入によってスポーツ振興くじの売り上げが伸びている。これはスポーツ振興くじの売上金の分配先を見れば好ましい状況であると言えるだろう。以下の売上金構成比を示した図(ページ最下部)を見ていただきたい。図から明らかなように、売上げの約3分の1はスポーツ振興事業に当てられる。特に今回導入されたくじは1回当たり従来の4.5倍である1億4310万円の売上げを出している。

上記のようにスポーツ振興くじはスポーツ振興事業の重要な財源となっているのだが、一方で反対意見があるのも事実である。スポーツ振興くじは一般的に言われる勝利至上主義を助長し、スポーツによる青少年の健全育成が妨げられるのではと言うがその論拠だ。どのように青少年に影響があるのか示して欲しいところではあるが、もし悪影響があるとすればこの意見も一理あるようにも思う。しかしながら、これは価値判断の問題であって何が正しいと言える問題ではなさそうである。

話がそれたが、私はスポーツ振興くじに賛成である。くじが売上げを伸ばし振興事業が活性化し、青少年のスポーツ機会が増加する。それによってスポーツによる教育が可能と考えるからだ。このような立場から、スポーツ振興くじの現状を見ると、もう少し売上げを伸ばす努力をして欲しいと感じる。当選確率の高さなどその魅力を存分にアピールしなければ、新規顧客獲得は難しいのではないだろうか。
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by jokerish2 | 2005-06-26 12:25 | コラム

本  『スポーツ生活圏構想』

 本 NO.4  『スポーツ生活圏構想』 
 電通総研スポーツ文化研究チーム+加藤久 著

 本著は右腕の参考文献として読んだものですが、意外とおもしろかったので感想を書きます。内容は「スポーツとは何か」から始まり、コミュニティを作る存在としてスポーツの意義などを説明しています。また様々なスポーツ関連の指標を使って都道府県のスポーツ豊かさ度をランキングして、さらにその結果を分析しています。

 中でも特に私の興味を引いたのが、ドイツのスポーツクラブの生立ちでした。本文をそのまま引用すると「スポーツ環境の整備に対する連邦(国)や州の基本的なスタンスも、お金は出すが干渉はしない、つまり、スポーツクラブの運営や活動の展開は、クラブメンバー、地域住民に委ねられ、行政はあくまで施設の整備など環境改善にその役割を自主規制している」らしいです。こんなことは日本では考えられないと私は思いました。日本では行政主導が慣例であり、地域住民が自主的にスポーツクラブを運営している姿は想像できません。また、政府もお金を出している以上干渉せずに我慢することはできないと思います。

 そのように考えると、日本には地域総合型スポーツクラブは根付きにくいのではないでしょうか。少なくとも日本は、ドイツ社会のように都市国家の形態が集合し大きな単位の国家を形成しているわけではないので、ドイツと同じ論理の自治意識の高さは期待できません。スポーツクラブが根付く土壌がない日本ではヨーロッパとは違う独自の手法が必要になるはずです。しかし、残念ながら現在の政策ではそれを実感できません。これからは模倣する側ではなく模倣される側になっていかなければならないとスポーツの分野でも感じてしまいました。

++ おまけ
スポーツ豊かさ度ランキングの順位
1位 山梨県  2位 長野県  3位 鳥取県
45位 大阪府 46位 福岡県 47位 青森県
詳しくは本著p.52-145参照。
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by jokerish2 | 2005-06-25 01:33 | 本:その他

歴史 『勝者の混迷(下)』

 歴史 NO.9  『勝者の混迷(下)』  塩野 七生 著

 前巻に引き続き、本巻もマリウスとスッラの時代から始まり、スッラの後に頭角を現すポンペイウスの時代までが描かれている。相も変わらずこの時代は混迷していたのだが、スッラとポンペイウスの二人の活躍は目覚しかった。

 スッラ、彼にはビジョンがあったと言うのが相応しいだろう。ローマの混迷に秩序を回復するための行政改革は的を射ていた。制度を立て直すために制度を破る行動は、一見矛盾するようだが、的確な判断だったように思う。しかし、漸く成し遂げた秩序を見方に破壊される様子はいかにもスッラらしい皮肉であった。とは言え、やはり彼の構想は素晴しいと言うほかないだろう。

 一方、ポンペイウスはスキピオ・アフリカヌス以来の天才と言われる逸材であった。軍事、政治の両面で優れていたため、読み進めるうちに「内臓の成長」の最終段階を仕上げる人物かとも思ってしまった。しかしながら、世の中には偉人の上に偉人がいるらしい。

 ローマ史上の「偉大なる個人」がいよいよ登場するようだ。今から楽しみで仕方がない。
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by jokerish2 | 2005-06-25 00:54 | 本:歴史・ノンフィクション

新聞 『こばのへりくつ -電車の中にて-』

++ はじめに

 当コーナー「こばのへりくつ」では日々の生活で気づいたことについて考えたことを書いていきたいと考えております。初回である今回はテーマを「電車の中にて」としまして、通勤電車に揺られながら考えたことと、高校生の話を盗み聞きして考えたことを書きました。どうぞご覧下さい。


++ 前編 午前8時の東西線 -社会の奴隷たち-

 先日、学校に向かう時の話。わたくしは通学のために東京メトロ東西線を利用しています。千葉県民と東京都東部の準千葉県民を乗せて走り、通勤ラッシュ時の混雑具合は総武線に引けをとらないことで知られる路線であります。以上の形容だけでは、東西線の混雑感が伝わらないと思います故、もう少し具体的に説明致します。最も混雑を極める平日午前8時の東西線東陽町-茅場町の状況を説明したいと思います。以下の点が東西線で起こる現象です。

① 初めてこの時間帯に乗車を試みる方は乗車できないと思われます。
② かばんを肩にかけたまま乗車した際、中に入っているおにぎり等は確実に潰れます。
③ 扉側に乗り込んだ方は体の一部又は手持ちの物が扉に挟まれます。
④ 乗り込めた方の中で体重の軽い方は気付いた時には足が宙に浮いています。
⑤ 電車のブレーキ時には確実に人間の雪崩を体感できます。
⑥ 時には座席に座っている人の上に座っていることもあります。

 これは東西線現象のごく一部、わたくしが体験したものに過ぎません。しかしながら、東西線の恐ろしさは伝わったのではないかと思います。伝わったと仮定しまして次に進ませていただきます。

 こんなに恐ろしい東西線に何気なく乗車しているわたくしですが、ふと客観的に東西線を眺めてみると不思議な世界が目の前に広がっていることに気が付きました。東西線に乗車している人々は毎日定刻にスーツという名の作業着で身を固め、すし詰め状態の電車に乗る、そして、会社という工場でサービス残業を含む12時間以上の労働をする。なぜでしょうか。なぜここまでしてこの時間の東西線に乗るのでしょうか。このような現状を眺めていると、ひまらや氏がネクタイを「社会の奴隷の証」と形容したように、人々が社会の奴隷に見えてしまいます。いや、奴隷に見えるのではなく奴隷なのでしょう。奴隷だからこそ東西線に乗るのです。何せ奴隷でいれば衣食住は事足りるのですから。

 一段上の視点から書いてみたものの、私も東西線に乗っているわけです。偉そうなことは言えません。後編ではその東西線の中で気になった事について書いていきたいと思います。


++ 後編 高校生が語る取り付け騒ぎ

 まず、車内で近くに立っていた高校生の会話を盗み聞きして考えた話です。どうやら政治経済か歴史の授業で習った取り付け騒ぎについて話しているようです。会話の中身を彼らの言葉を使って手短に言いますと、「銀行の取り付け騒ぎがおこる原因は銀行が破綻するかもしれないという噂が広まって、その噂を聞いた人たちが一斉に預金を引き出しに行くから」らしいです。日本語として変なところもありますが、つまり、取り付け騒ぎという現象は破綻するかもしれないという不確実な噂が引き起こすようです。

 本当にそうなのでしょうか。間違ってはいないとは思います。ただ、近頃、合理的個人というものを少しだけでも学んだ人間の目を通すと異なった世界が見えてきます。

 まず、A銀行が破綻するかもしれないという噂を聞いたときA銀行に口座を持っているあなたはどのような行動をとるでしょうか。高校生が言っていたように一目散に預金を引き出しに行きますか?行くと答えたあなたはなぜそれを選んだか考えてみてください。おそらく無意識のうちに合理的に判断しているのではないでしょうか。不等式で表すと以下のようになります。

【噂が本当か確かめるコスト】>【預金を引き出しに行くコスト】

 つまり、取り付け騒ぎは噂が噂を呼び起こる現象ではなく、噂が本当か確かめるくらいなら預金を引き出したほうが楽だから起こる現象なのです。

 そして高校生はこのように続けていました。「だから、噂が広まったらどうしようもないらしいよ」と。わたくしの考え方が正しいとすれば、噂が本当か確かめるコストが低ければ取り付け騒ぎは起きないはずです。従って銀行には企業情報を大公開していただきたいものです。そうすれば、噂を確かめるコストはかなり削減され、取り付け騒ぎは起きないのではないでしょうか。自らの首を絞めないためにも企業情報公開をお勧めいたします。


++おわりに

 わたくしはゼミで勉強して得た考え方をこのように使っております。まだまだ身近なことにしか応用できていませんが、今後は公の問題に、そして世界に羽ばたいていくことを目論んでいる次第であります。今後ともわたくしのコーナー「こばのへりくつ」をどうぞよろしくお願いいたします。
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by jokerish2 | 2005-06-19 21:38 | 新聞記事

エッセイ 『ヴィクトリア期の世界と経済学の異端』

 エッセイ NO.11 『ヴィクトリア期の世界と経済学の異端』
 R.L.ハイルブローナー 著

 「正統か異端か」それは考え方が正しいか否かではなく、その時代の思想・風潮に適合するか否かで決定される。どれだけ正しいことを主張したとしても、それを受け入れられない背景や受け入れる必要性がない場合、異端者は時代の片隅に置かれ時には抹殺されてしまう。極端な例を挙げれば、17世紀前後のコペルニクスやガリレオ、ブルーノが異端者の代表格になるだろう。彼らほどではないにしろ、ヴィクトリア期のイギリスも正統派経済学者と異端派経済学者の運命がはっきりと分かれた時代であった。

 当時のイギリスは発展期にあり資本主義システムを悲観的に概観する人物を求めていなかった。従ってヴィクトリア期には資本主義システムを緻密な論理を組み立てて肯定する者が正統派となる。一方、資本主義システムを悲観視し、独創的な視点で資本主義システムの破滅を予言する者たちが異端派とされた。人間を「快楽機械」とし数理心理学で説明したフランシス・シドロ・エッジワースをはじめ、フレデリック・バスティア、ヘンリー・ジョージ、ジョン・A・ボブソンなどがそれである。

 彼らの思想は私を魅了するものであった。確かに、正統派の経済学者であるアルフレッド・マーシャルの論理などと比較すればその論理は不完全なのかもしれない。しかしながら、彼らの独創的な思想は的を射ていないとは言えず、時代背景が異なれば正統派となっていたことだろう。

 先に挙げたコペルニクスのように、異端として掻き消されてしまう思想は真理を突いていることが間々ある。絶対的に信じられた正統がある世界では、常識外れの異論は異端でしかないようだが、裏を返せば、突拍子もないことを主張する人物を見つけたら注意せよ、と歴史の異端者たちに示唆されている気がするのは私だけだろうか。
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by jokerish2 | 2005-06-19 17:53 | エッセイ(課題)

エッセイ 『ユートピア社会主義者たちの夢』

 エッセイ NO.10  『ユートピア社会主義者たちの夢』
 R.L.ハイルブローナー 著

 なぜユートピア社会主義者たちは登場したのか。なぜ彼らは現実とは乖離した空想の夢物語を描く必要があったのか。その現場にいなかった私には理解できないほど過酷で残酷な状況がそこにはあったのだろう。19世紀前半のイギリス、そこでの労働者階級の待遇は悲惨なものであった。1日16時間労働や桶の中の残飯を豚と奪い合わせるなど、資本家階級は彼らを同じ人間として扱っていなかった。さらに、アダム・スミス、リカード、マルサスによって形成された経済法則はいつの間にか不可侵なものとなり、経済法則の下で生じる残酷な世界は必然的に成す術のないものとなってしまっていた。この状態を打開しようと極端な思想を展開したのがロバート・オウエン、サン・シモン、シャルル・フーリエをはじめとするユートピア社会主義者たちである。

 彼らの思想やそれに基づく行動は私に強烈な印象を与えるものであった。オウエンは、貧困問題を解決するためには貧しい人々を生産活動に従事させることが必要であると説き、それを実現する「共同村」の建設へと私財を注ぎ込んだ。また、シモンやフーリエの思想もサン・シモン教会やファランクスを産み出すに至った。今、私を取り巻く環境が彼らの生きた時代と同じものであったとしたら、私は夢物語を描けるだろうか。恐らく描くことはできないし、できたとしても行動に移すことはできないだろう。そう考えると、彼らは自らの思想に対して絶大な信頼を置いていたことがよくわかる。彼らにとって、彼らの思想は夢物語ではなく現状を打破する唯一無二の考えであったのだ。

 私は彼らの信念を追い続ける姿に敬意を表したい。彼らが決めたことを成し遂げる過程では、一時停止はあっても後退はないのだ。この姿勢は私にとって最も欠落しているものの一つであり、見習わなくてはならない。今の私の環境にはそれを修得できる可能性が大いにある。努力すればなんとかなるはずである。何せ「人間は環境の生き物である」のだから。
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by jokerish2 | 2005-06-04 15:18 | エッセイ(課題)