<   2005年 07月 ( 8 )   > この月の画像一覧

歴史 『宮本武蔵(三) 』

歴史 No.13 『宮本武蔵(三) 火の巻』 吉川 英治 著

 火の巻では武蔵を取り囲むお通、又八、小次郎を初めとする多くの人たちが登場する。そして、それぞれの話は次へ続く吉岡清十郎との戦いが行われる京都へと向かってゆく。武蔵の元へ集まる手筈が整えられてゆく様に、私はつい胸を躍らせてしまう。次の展開を待ちきれない気持ちにさせる著者はさすがである。

 話を戻そう。火の巻で最も印象に残ったのは又八の考え方である。彼は剣で武蔵に勝つことが難しいことを悟ると、剣とは異なる世界で武蔵以上に成功しようと考える。この又八の考え方は、勉強集団で芸術に走ったり、芸術集団で勉強に走ってきた今までの私を見ているようで耳が痛い。今思えば、このような勝負をしない逃げの姿勢での成功はとても難しいことがよくわかる。しかし、又八はそんなことに気づく由もなく舞台は着々と京都へと向かってゆく。
[PR]
by jokerish2 | 2005-07-27 00:18 | 本:歴史・ノンフィクション

映画  『冬の運動会』

映画 NO.7  『冬の運動会』

「なぜ人は隠れ家を持ちたがるのか」

 本作品に出てくる人は皆戸籍上の家以外に精神的な家を持っている。精神的な家、それは本当の家からすれば隠れ家である。隠れ家、子供の言葉で表せば秘密基地であろうか。私にとって子供の頃の秘密基地は家にいたら怒られるに決まっている奇抜なことを現実に投影する場所であった。言い換えれば、自らのクリエイティビティーを最大限に発揮してやりたい放題いろんな物を作ったりいろんなことをしたりする場所である。

 しかし子供とは違い、大人の隠れ家とは何だろうか。本作品では、隠れ家は本当の家では充たされない何かを埋める場所として描かれている。親の愛情や息子への期待などがその何かである。確かに、不足した欲求を外に求める気持ちもわからなくはない。特に家から得られる満足は固定的であり、そこで不足するものは外で充たす他ないだろう。この関係は家に限らず、様々な場面で言えそうである。本物から得られないものを擬似から得ようとする。そして本物から得るものが固定的であればあるほど擬似へ逃避してゆく。

 なるほど隠れ家は人の心のバランスを保つ上で重要な役割を果たしているのかもしれない。とはいえ、やはり本当の家でそれを充たせるのが一番よいのだが。
[PR]
by jokerish2 | 2005-07-26 19:41 | 映画

歴史 『宮本武蔵(二)』

歴史 No.12 『宮本武蔵(二) 水の巻』 吉川 英治 著

「強すぎる、もうすこし、弱くなるがよい」

 3年間の読書生活の後、武者修行のため諸国を渡り歩いていた武蔵は宝蔵院の僧日観にそう言われる。強くなろうと修業に励む武蔵にとって、その言葉は理解できぬものであった。もちろん私にもわからないが、ここまで見てきた武蔵を踏まえて考えてみると、武蔵は沢庵に剣は文武がひとつになって力を発揮すると教わり、そして文をある程度備えてから武者修業に出たにもかかわらず、武蔵の行動はやはり強いものを剣で倒す武のことばかりに目が行っている。時折、日観や石舟斎のような武蔵よりも格段上の存在を目の当たりにした時、武蔵は剣の真髄に、そして自分の弱さの所以に近づきそうになるのだ。日観はそこを指摘したのではないだろうか。修業不足を自覚し石舟斎に会わずして旅立った武蔵、先の見えない剣を求める武者修行は続いてゆく。
[PR]
by jokerish2 | 2005-07-26 11:18 | 本:歴史・ノンフィクション

映画  『電車男』

映画 NO.6  『電車男』

 オ(ヲ?)タクを主役とする映画や本がなぜこれほどまでに人を惹き付けるのか。本を読んでいない私はそれが全く理解できなかったのだが、この映画を見て少なからずその理由がわかった気がする。

 電車男、彼のパーソナリティーは映画を観ている人に優越感を与える。オタクで彼女いない歴=年齢など、彼を形容するために並べられる言葉は社会的に見てネガティブなものばかりである。従って観ている人は彼のパーソナリティーを哀れみの目で眺めると同時に、自分より経験のない彼を応援したくなるのだろう。

 また、人は皆コンプレックスを持っていると思う。得てして、そのコンプレックスは人から自信を取り上げる。その代表例を電車男とすると、それを克服して成功していく電車男はコンプレックスを持っている人たちに希望を与えるのかもしれない。こんなコンプレックスの塊みたいな人間が頑張れるなら自分も頑張れると、私も希望というか自信みたいなものを少なからず感じていた。

 深いことを考えなければ、気晴らしに楽しめる作品である。
[PR]
by jokerish2 | 2005-07-24 14:54 | 映画

エッセイ 『アマルティア・センの魅力を探る冒険』

エッセイ NO.12 『アマルティア・センの魅力を探る冒険』 
荻澤 紀子 著

 1998年アジア人で初めてノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン、私は受賞後の彼の言葉に感動した。ここでは敢えて本文をそのまま引用することにしよう。

――心配しているのは、もっと貧しい人たちのこと。インドネシアやタイの貧しい人、米国の医療保険未加入者や西欧の失業者の方だ。資本主義に修正が必要なら、こういった点である。
――アダム・スミスに始まる経済学の偉大な伝統は、貧しいものに同情・共感することであった。
――国籍に関係なく、悲惨な境遇にある人々とその暮らしに関心を寄せることこそ、経済学の真髄なのである。

 彼の業績も然る事ながら、私は彼の思想の根底に存在する価値観に尊敬の念を抱かずにはいられない。上述の彼の言葉からも窺えるように、貧しい人たちに対する彼の姿勢は慈悲深いという言葉が最も相応しいと言える。また、正統派の厚生経済学が前提とする合理的個人の行動仮説に疑問を感じているところからも、彼の価値観を感じられるだろう。彼が関心を寄せる貧しい人たちが如何に合理的個人の行動仮説で説明できないか、それを知っている彼ならではの的を射た指摘であった。

 このような経済思想家たちの考え方を眺めていると、彼らの価値観が滲み出てくるような感覚を覚えることがよくある。まるで彼らの思想それ自身が1人の人間であるかのような、それくらい強烈な印象を受けるのである。彼らの価値基準に基づいて全身全霊を捧げて生み出される思想であるから、それくらいのエネルギーを秘めていても不思議ではないのかもしれないが、やはり圧倒されてしまう。

 価値判断を多分に含んだ考え方を展開したアマルティア・センを読んだことで、今まで腑に落ちなかったことが繋がり始めた。と同時に、私の書いた論文が如何に希薄な価値観の下に書かれていたのかにも気づいた。自らの価値観ではなく常識に捉われた論文がどれほどつまらないものか。この教訓を生かし、次に繋げて行きたい。
[PR]
by jokerish2 | 2005-07-11 00:18 | エッセイ(課題)

映画  『トップガン』

映画 NO.5  『トップガン』

 トップガンとはアメリカ軍パイロットのエリートが集まる空中戦教育のための訓練校である。そこでの物語が本作品であり、海猿の海同様、空の厳しい世界が描かれている。内容はそれほど特筆すべきところはなかったが、私は終盤のある出来事に対するアメリカ人の態度に驚いてしまった。

 トップガンの卒業式の途中、突然出撃命令が出された。アメリカの情報収集船が他国の領海を侵犯してしまい、敵国の戦闘機の標的となっているため救援に向かうという命令であった。出撃の末、敵国戦闘機を撃墜することに成功し、待機していた仲間たちが大喜びするシーンがある。このシーンに私は驚いた。

 そもそも敵国に進入したのはアメリカ艦にも関わらず、それを追い払いに来た戦闘機まで撃墜して歓喜の声を上げている姿は如何にもアメリカ的だなと思ってしまう。アメリカ中心と言うか何と言うか、20年経った今もアメリカ中心の考え方は依然変わっていないようである。
[PR]
by jokerish2 | 2005-07-03 21:22 | 映画

映画  『海猿』

映画 NO.4  『海猿』

 海上保安官の中のわずか1%しかなれないという海難救助のエキスパートである潜水士。それを目指し訓練する14名の姿を描いた作品である。海上保安庁の協力もあって、訓練生の姿や潜水士が直面する海の危険は観ているものを圧倒する臨場感を持っていた。海を守る男たちの強さを感じずにはいられないというのが私の率直な感想である。また、私は彼らの力強さだけでなく、絆の強さにも心を打たれた。潜水士はバディと呼ばれるパートナーと二人一組で行動するのだが、その二人の絆はもとより、そこから派生する訓練生全体の連帯感は見ていて清々しく、心が洗われるようであった。

 青春映画はたまに観ると、とても気持ちが良い。誇大に表現しているためか、頻繁に観ると嫌気がさすが、やはり時々観ると「殺伐とした世の中がパッと明るくなって見える」、そんな気がする。このようなところが青春映画の醍醐味ではないだろうか。
[PR]
by jokerish2 | 2005-07-03 20:42 | 映画

歴史 『宮本武蔵(一)』

歴史 No.11 『宮本武蔵(一) 地の巻』 吉川 英治 著

 読み終わった後のこの感覚は何なのだろうか。武蔵はもとより又八、お通、沢庵といった人物が頭の中に映像となって残っている。それくらいそれぞれの人物に人間味を感じ、印象に残ったのだろう。この感覚は初めてであった。早く次を読みたくて仕方がない。

 宮本村の武蔵(たけぞう)は強い。しかし、その強さ故に力任せすぎた。自らが正しいと思うことや使命と感じることに一直線に進み、後先考えずに行動する。まさに文武の武しか備わっていない人物である。そんな武蔵ではあるが、あるとき僧沢庵と出会うことで生まれ変わることになる。沢庵は言う「―怖いものの怖さを知れ。―暴勇は児戯、無知、獣の強さ。―もののふの強さであれ。―命は珠よ。」と。武蔵はそれまでの悪行を悔やんだ。その後武蔵は3年間読書のみの生活を送ることになり、21歳のとき、宮本武蔵(むさし)という新たな名とともに新しい人生が始まった。

 地の巻の中で、私は「文武両道」の重要性を実感した。文武両道を謳う高校いながら、少しも文の大切さを理解せずに卒業した私にとって、18歳で沢庵と出会えた武蔵を羨ましく思う。と同時に、私も一層読書をしなければと刺激を受けた。
[PR]
by jokerish2 | 2005-07-02 18:34 | 本:歴史・ノンフィクション