<   2005年 09月 ( 6 )   > この月の画像一覧

映画  『魔女の宅急便』

映画 NO.11  『魔女の宅急便』

 この映画は思い出深い。『魔女の宅急便』は幼なじみの子の家にあって、家に行くと毎回のように観るのだが、私はいつも最後まで観れずに他の事を始めてしまい、全部通して観たことが今までなかった。よって、今回観るまで結末を知らなかったのだ。今となってはただの思い出話でしかないが。

 何はともあれ、あまりにも有名な作品のため内容は知っていると思うが、簡単に説明すると、魔女の修業のために黒猫のジジとともに生まれ故郷から旅立つ少女キキがいる。キキは新しく住み着いた海辺の街で空飛ぶ配達屋として生活する中で、さまざまな人と出会い魔女として成長していく姿を描いている。

 正直なところ、ジブリ映画を観ると心が洗われ、とても清々しい気持ちになる。21歳の男をアニメの世界に惹き込む宮崎駿はやはり天才だと観るたびに感じてしまう。キキの心の動きはキキの年頃の時を思い出させ、また、冷静に考えればほうきに乗って空を飛ぶ魔女なんてあり得ないにも拘らず、それをいかにも当たり前のように表現しているイントロ部分の使い方は素晴しいと思った。

 また、映像に関して言えば、キキが海から海岸に向かって一直線に飛び、右方向から船が直角に前進してくるシーンがあるのだが、アニメとは思えないほど船が綺麗な軌道を通っていて驚いてしまった。

 今回は最後まで観れてよかった。どうやら10数年という歳月は私を成長させたらしい。
[PR]
by jokerish2 | 2005-09-29 01:00 | 映画

映画 『アメリ』

映画 NO.10  『アメリ』

 「少女アメリの遊び相手は空想の中の世界。ちょっと冷たいパパと神経質なママのもとで、変わった力を手に入れた。不思議な動物とお話したり、金魚の“クジラちゃん”と仲良くしたり。両手の指先にラズベリーを差しこんで、はじからパクパク食べるのも好き。隣の意地悪な男には、最高の手で仕返しもする。大人になったアメリは、古いアパートで一人暮らし。アメリの生活は、とてもシンプル。趣味は、クレーム・ブリュレのカリカリの焼き目をスプーンで壊すことと、サンマルタン運河で水切りすること(水切りによさそうな石を道端で拾ってはポケットに忍ばせている)。そして、周囲の人々を観察し、想像をたくましくすること。」

 映画『アメリ』はこんな変わった女の子アメリの物語である。ある日突然、アメリは「まわりの誰かを今よりちょっとだけ幸せにすること」をしようと思い立ち、いろいろな人にイタズラをはじめる。変な写真コレクションを持つニノに出会うまでは…みたいな内容。

 この作品はアメリを演じるオドレイ・トトゥ(AUDREY TAUTOU)の演技の素晴しさが、作品の良さを物語っていると思った。表情にしろ、立ち振る舞いにしろ、見事にアメリという変わった女の子を表現していて、これは演技なのか素なのか分からないくらいだった。

 一方、ストーリーはそれほど好きなものではなかったが、随所に登場するイタズラは子供の頃の気持ちを思い出させてくれて楽しめた。また『Ray』の時と同様に、この作品も1カット1カットがとても美しく、フランスの情景とレトロな色彩とが相俟ってとても魅力的な映像になっていた。

 吉田拓郎の「人間なんて」を聞いて人間不信になっている人がいたら、是非薦めたい作品である。人間にはいろいろな人がいるものだと言うことが分かるかもしれません。
[PR]
by jokerish2 | 2005-09-28 00:01 | 映画

映画  『Jam Films』

映画 NO.9  『Jam Films』

 この作品は飯田譲治、岩井俊二、北村龍平、篠原哲雄、堤幸彦、望月六郎、行定勲、6名の監督による短編映画集である。当時(今もだが)、最も名を馳せる監督たちの作品だけあってどの作品もユニークで味のあるものばかりだった。

 中でも行定監督の作品が最も印象に残った。と言うか、くだらな過ぎて記憶に残っている。ある高校での出来事。英語の授業中、外国人の教師がポツダム宣言を音読し、生徒たちはそれをノートに書き取っている。そんな中、外に目を奪われている生徒が一人。東条(妻夫木聡)である。外では赤、青、緑の色とりどりのブルマの体操着を着た女子がハードルを跳んでいる。東条はそれを色分けしてその数を数え始める…と言った話である。話の中には行定監督自身の実話も隠されているらしいのだが、とにかくくだらない。こんな話を映画にとってみようとすること、またこれを愉快に仕上げているところがやはり名監督のなせる業なのだろう。

 この他の作品も監督それぞれの個性が出ていて楽しめた。短編映画は学生でも工夫すれば少ない予算で作ることができるので、卒業するまでに一度挑戦してみたいと思う。興味があれば、是非声を掛けていただきたい。
[PR]
by jokerish2 | 2005-09-27 22:31 | 映画

映画  『Ray』

映画 NO.8  『Ray』

 この作品はソウルの神様レイ・チャールズの生涯を描いた映画である。ソウルの神様、レイ・チャールズと言われても名前は知っているが、正直に言って彼がどのような人物なのか詳しいことを私は知らなかった。神様と言われて頭に浮かぶのはペレぐらいな私にとっては見る前から興味をそそる。

 レイは幼い頃に光を失ってしまった盲目のピアニスト。目が見えないことはもちろん、彼はその生涯でさまざまな壁と対峙することになる。この映画はその彼がソウルの神様となるまでの波乱万丈な人生を描いたものである。内容もさることながら、私は映像の中に効果的に取り入れられている音楽の使い方の上手さに魅了されてしまった。

 この作品の中で使われている曲は当然のことながらすべてレイのものである。もちろん一曲一曲も聞いていて、品のない言い方かもしれないが、かっこいい。しかし、英語の歌詞がわからない私にとってその一曲はかっこいいだけでしかない。一方この作品の中で使われる曲は作曲された時のレイの気持ちや状況を映像を使って分かりやすく表現しているため、それまでかっこいいだけだった曲の中に命が吹き込まれたような感覚だった。また、映像も素晴しい。写真を撮る身としては、1カット1カットを写真として切り取りたくなるほど、色彩、構図などが美しく、こんな写真をいずれ撮ってみたいと終始思っていた。
[PR]
by jokerish2 | 2005-09-26 21:35 | 映画

新聞 『こばのへりくつ -夏休みの宿命-』

++ 前編 夏休み – have to & want to -

 皆様は夏休みを如何お過ごしになられたでしょうか。大学生の夏休みは長いもので2ヶ月程あるのは周知の通りでございます。そして、その時間の使い方は人それぞれ、勉強に精を出す人もいれば、旅に出る人もいる、はたまた何もせずにゴロゴロしている人もいると思います。「やりたいこと」を何でもできる、大学生にとって貴重な期間です。しかしながら一方で、期待膨らむ夏休みに漏れなく付いて来るのが様々な「やらねばならぬこと」であります。例えば、通年の授業を履修していればレポートがあるかもしれない、またゼミに入っていればその課題もあるでしょう。この厄介者たちを片付けてこそ心から夏休みを満喫できるというもの。言わば大学生の夏休みは「やらねばならぬこと」との戦いなのです。

 御多分に洩れず私も数多くの課題を抱えている身であります。ミクロ経済学、マクロ経済学、計量経済学などゼミで出された課題は数知れず、さらには授業で課されたレポートと枚挙に遑がありません。そして、もちろん、旅や読書や蹴球などやりたいことも山ほどあります。約50日余りの夏休み、うまく遣り繰りして有意義な時間を過ごせるのか否か、私の手腕次第と言ったところでしょうか。


++ 後編 秋学期直前 –課題山積は大学生の宿命か-

 空は高く、また夕焼けが秋の様相を呈してきた9月中旬。私の目の前には課題が山積みであります。「やりたいこと」ばかり追求してきた結果なのか。「やらねばならぬこと」は二の次にして、計画を立てても計画表は見て見ぬふり、迫り来る期限に焦燥感を覚えつつもなかなか上がらぬ重い腰、皆様もそんな経験はないでしょうか。例年の如く私は今年も同じことを繰り返してしまったわけです。これから約一週間が思い遣られます。

 さて、ここでふと思うのです。なぜ私たちは毎年のように同じような状況に陥ってしまうのかと。何も考えずに過しているとでも言うのでしょうか。はて、そうは思えないのです。なぜ課題山積の状況に陥ってしまうのか、以下で考えてみることにします。
では、まず、それぞれをやりたいこととやらねばならぬことをやって得られる満足度を比較してみます。すると、おそらく①の様になると考えられます。

【やりたいことをやって得られる満足】≧【やらねばならぬことをやって得られる満足】―①

 ①から明らかなように、余程の変わり者でない限りやりたいことを優先してやらねばならぬことが後回しになると考えられます。と、書いてみたもののこれは本当でしょうか。このやらねばならぬ課題には期限があることを考えてみて下さい。すると、課題は期限内に必ずこなされることになるのでいつ何時やろうとも量は変わらず満足度は変わらないのではないでしょうか、つまり、①から直接「やりたいことを優先する」とは言えません。ではなぜやらねばならぬ課題は後回しにされるのか。ここで、前編にあった一文「この厄介者たちを片付けてこそ心から夏休みを満喫できる」を思い出して下さい。変な所に伏線は張られているもので、何気なく書いたこの一文、疑ってみる価値がありそうです。どういう事かと言うと、やらねばならぬことがある状態とない状態ではどちらがやりたいことをできるのかです。もし「やらねばならぬことがある状態の方がやりたいことができる」―② と言うことが証明されれば、課題山積の状態が説明できるはずです。

 では②とはどういう状態でしょうか。私はこう考えました。まず、夏休みの初めに課題を終わらしてしまうA君と夏休みの終わりまで課題を終わらせないB君の2通りを考えます。A君は課題も終わったのでこれからやりたいことに時間を費やそうとしています。しかしながら、暇そうなA君を見た家族や友達はA君に頼み事をしてきます。「時間あるならやってよ」と。ここでA君はやらねばならぬことがない故に断る理由もなく、頼まれ事をこなすことになります。一方B君はというとA君とは異なり、いくら頼まれても「やらねばならぬことがあるから無理だよ」と言い張り引き受けません。さて、A君とB君、どちらの方が夏休みを満喫できているでしょうか。やらねばならぬことの量は変わらないので、やりたいことをできる量の多い課題を後に残す方が夏休みを満喫できているのは一目瞭然です。従って、秋学期直前まで課題を残している大学生たちは実は無計画に過してきた結果ではなく、むしろ合理的に考えた結果として課題が山積しているのです。


++ おわりに

 そうはいっても、やはり夏休みの最後に課題を抱えているのは嫌なものです。これは所詮私の屁理屈(課題山積の言い訳)でしかなく、結局は計画的に生活した方が気持ちよく新学期を迎えられるのかも知れないですね。
[PR]
by jokerish2 | 2005-09-14 00:21 | 新聞記事

エッセイ 『文明論之概略』 

エッセイ NO.14 『文明論之概略』 
福澤 諭吉 著

<印象に残った言葉>
 「古人は古にありて古の事を為したる者なり。我は今にありて今の事を為す者なり。」

 この言葉の後には以下のように続いている。
 「…何ぞ古に学びて今に施すことあらんとて、満身あたかも豁如として、天地の間に一物、以て我心の自由を妨るものなきに至るべし。」

 古き悪習に囚われない自由な福澤諭吉の気風漂う前向きな言葉だったのでこれを選択した。私自身は古い考え方に縛られ、身動きが取れなくなる時が時折ある。それは偏に思考していないから、つまりは今まで見聞してきたものを考えもせずに受け入れているからである。そうと解ってはいても、気付くと身動きが取れなくなり、冷静に考えると何かに囚われている自分がいる。そんな私にとってこれは常に頭の隅に置いておかなければならない言葉である。

<感想>
 文語体で書かれているため理解することが難しい箇所が幾つかあり処々わからない文があったものの、直後に容易な例示をしているため大意は読み取れたと思う。私でも大意を掴めるように工夫された構成こそが福澤諭吉の実力であり、また『文明論之概略』が良書として130年も生きながらえてきた所以ではないだろうか。

 まず全文を読み終えて初めに感じること、それは福澤諭吉の一貫した日本の独立―福澤諭吉が言う鎖国時代の偶然の独立とは異なる独立―に対する並々ならぬ気概である。終始私は理路整然かつ気持ちの入った文の連続に圧倒され続けてしまった。それと共に、1つ1つの事象に対する本質を突いた物言いにも脱帽であった。ここで数ある物言いの中から幾つかを挙げると、「原因を近因と遠因との二様に区別し…(中略)…故に原因を探るの要は近因より次第に遡て遠因に及ぼすに在り。其遡ること愈遠ければ原因の数は愈減少し、一因を以て数様の働を説く可し。」や「自由の気風は唯多事争論の間に在て存するものと知る可し。」などがそれである。これらは抽象化されているが故に、当時だけでなく現代でも重要な考え方として肝に銘じておくべきものばかりだ。また、「昔年の異端妄説は今世の通論なり、昨日の奇説は今日の常談なり。然ば則ち今日の異端妄説も亦必ず後年の通説常談なる可し。学者宜しく世論の喧しきを憚らず、異端妄説の譏を恐るゝことなく、勇を振て我思ふ所の説を吐く可し。」とあるが、明治初期にしてアダム・スミスやガリレオを引き合いに出し本質を見出してしまう福澤諭吉には驚嘆するばかりである。

 さて、この『文明論之概略』で福澤諭吉は「国の独立は目的なり。今の我が文明はこの目的に達するの術なり。」と書いているように、内外圧が入り混じる明治初期に日本の独立には西洋文明を学ぶことが必要であると説いている(ここで言う独立とは精神の独立であり、また文明とは人の知徳の進歩である)。ここで文明国の仲間入りを果たしたと言われる現代の日本を省みると、明治時代に福澤諭吉が言った文明化―知徳の進歩―は成し遂げられたと言えるのだろうか。私は否であると考えている。なぜなら、名ばかりの科学技術が進歩する一方で国民個々人の知徳―日本古来の知恵(インテレクト)と徳義(モラル)―が世代を経るごとに低下しているという実感があるからである。皮肉ではあるが、それが達成されていないからこそ130年も前に書かれた国の独立を目的とする『文明論之概略』が今も尚読者に福澤諭吉の志の大きさを感じさせるのだろうと思う。

 最後に。福澤諭吉著の作品を読んだのは『福翁自伝』に続き2作目であった。『福翁自伝』の時も感じたように、独立のためには文明化が必要であるという首尾貫徹した考え方に改めて感服せざるを得ない。またこの作品では論理的に独立の必要性を説く作品故に、『福翁自伝』の時には見られなかった「言いたい事を解り易く伝える」表現方法を使うなどの新しい発見も多々あった。読めば読むだけ味の出てくる作品はそう多くはない、長い付き合いになりそうな作品である。
[PR]
by jokerish2 | 2005-09-12 04:13 | エッセイ(課題)