映画  『黄泉がえり』

映画 NO.12  『黄泉がえり』

 ある日突然、死んだ人が死んだ時と同じ状態で甦るという話である。この作品は2年前にも観たのだが、テレビでやっていたのでもう一度観てみた。しかし、何度観てもこの作品がヒットしたことを信じることができない。映画が始まって約10分程で映画の流れがわかるようなネタばらしをしてしまっているのだ。さらに展開も邦画ではありがちな男女のすれ違いでダラダラと進み、最後にはルイこと柴咲コウのプロモーションビデオかと思ってしまうくらい一人で3曲も歌い続けている。また、一部では草薙剛の声が割れていたり、分かり辛いカメラワークなど、私は専門家ではないので専門的な指摘はできないが、観衆の一人として映画の質が低いなと随所で感じた。これはあまり人に薦められない作品である。もし柴咲コウが好きならば、最後の30分のみ観ることをお薦めする。
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# by jokerish2 | 2005-10-01 01:31 | 映画

映画  『魔女の宅急便』

映画 NO.11  『魔女の宅急便』

 この映画は思い出深い。『魔女の宅急便』は幼なじみの子の家にあって、家に行くと毎回のように観るのだが、私はいつも最後まで観れずに他の事を始めてしまい、全部通して観たことが今までなかった。よって、今回観るまで結末を知らなかったのだ。今となってはただの思い出話でしかないが。

 何はともあれ、あまりにも有名な作品のため内容は知っていると思うが、簡単に説明すると、魔女の修業のために黒猫のジジとともに生まれ故郷から旅立つ少女キキがいる。キキは新しく住み着いた海辺の街で空飛ぶ配達屋として生活する中で、さまざまな人と出会い魔女として成長していく姿を描いている。

 正直なところ、ジブリ映画を観ると心が洗われ、とても清々しい気持ちになる。21歳の男をアニメの世界に惹き込む宮崎駿はやはり天才だと観るたびに感じてしまう。キキの心の動きはキキの年頃の時を思い出させ、また、冷静に考えればほうきに乗って空を飛ぶ魔女なんてあり得ないにも拘らず、それをいかにも当たり前のように表現しているイントロ部分の使い方は素晴しいと思った。

 また、映像に関して言えば、キキが海から海岸に向かって一直線に飛び、右方向から船が直角に前進してくるシーンがあるのだが、アニメとは思えないほど船が綺麗な軌道を通っていて驚いてしまった。

 今回は最後まで観れてよかった。どうやら10数年という歳月は私を成長させたらしい。
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# by jokerish2 | 2005-09-29 01:00 | 映画

映画 『アメリ』

映画 NO.10  『アメリ』

 「少女アメリの遊び相手は空想の中の世界。ちょっと冷たいパパと神経質なママのもとで、変わった力を手に入れた。不思議な動物とお話したり、金魚の“クジラちゃん”と仲良くしたり。両手の指先にラズベリーを差しこんで、はじからパクパク食べるのも好き。隣の意地悪な男には、最高の手で仕返しもする。大人になったアメリは、古いアパートで一人暮らし。アメリの生活は、とてもシンプル。趣味は、クレーム・ブリュレのカリカリの焼き目をスプーンで壊すことと、サンマルタン運河で水切りすること(水切りによさそうな石を道端で拾ってはポケットに忍ばせている)。そして、周囲の人々を観察し、想像をたくましくすること。」

 映画『アメリ』はこんな変わった女の子アメリの物語である。ある日突然、アメリは「まわりの誰かを今よりちょっとだけ幸せにすること」をしようと思い立ち、いろいろな人にイタズラをはじめる。変な写真コレクションを持つニノに出会うまでは…みたいな内容。

 この作品はアメリを演じるオドレイ・トトゥ(AUDREY TAUTOU)の演技の素晴しさが、作品の良さを物語っていると思った。表情にしろ、立ち振る舞いにしろ、見事にアメリという変わった女の子を表現していて、これは演技なのか素なのか分からないくらいだった。

 一方、ストーリーはそれほど好きなものではなかったが、随所に登場するイタズラは子供の頃の気持ちを思い出させてくれて楽しめた。また『Ray』の時と同様に、この作品も1カット1カットがとても美しく、フランスの情景とレトロな色彩とが相俟ってとても魅力的な映像になっていた。

 吉田拓郎の「人間なんて」を聞いて人間不信になっている人がいたら、是非薦めたい作品である。人間にはいろいろな人がいるものだと言うことが分かるかもしれません。
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# by jokerish2 | 2005-09-28 00:01 | 映画

映画  『Jam Films』

映画 NO.9  『Jam Films』

 この作品は飯田譲治、岩井俊二、北村龍平、篠原哲雄、堤幸彦、望月六郎、行定勲、6名の監督による短編映画集である。当時(今もだが)、最も名を馳せる監督たちの作品だけあってどの作品もユニークで味のあるものばかりだった。

 中でも行定監督の作品が最も印象に残った。と言うか、くだらな過ぎて記憶に残っている。ある高校での出来事。英語の授業中、外国人の教師がポツダム宣言を音読し、生徒たちはそれをノートに書き取っている。そんな中、外に目を奪われている生徒が一人。東条(妻夫木聡)である。外では赤、青、緑の色とりどりのブルマの体操着を着た女子がハードルを跳んでいる。東条はそれを色分けしてその数を数え始める…と言った話である。話の中には行定監督自身の実話も隠されているらしいのだが、とにかくくだらない。こんな話を映画にとってみようとすること、またこれを愉快に仕上げているところがやはり名監督のなせる業なのだろう。

 この他の作品も監督それぞれの個性が出ていて楽しめた。短編映画は学生でも工夫すれば少ない予算で作ることができるので、卒業するまでに一度挑戦してみたいと思う。興味があれば、是非声を掛けていただきたい。
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# by jokerish2 | 2005-09-27 22:31 | 映画

映画  『Ray』

映画 NO.8  『Ray』

 この作品はソウルの神様レイ・チャールズの生涯を描いた映画である。ソウルの神様、レイ・チャールズと言われても名前は知っているが、正直に言って彼がどのような人物なのか詳しいことを私は知らなかった。神様と言われて頭に浮かぶのはペレぐらいな私にとっては見る前から興味をそそる。

 レイは幼い頃に光を失ってしまった盲目のピアニスト。目が見えないことはもちろん、彼はその生涯でさまざまな壁と対峙することになる。この映画はその彼がソウルの神様となるまでの波乱万丈な人生を描いたものである。内容もさることながら、私は映像の中に効果的に取り入れられている音楽の使い方の上手さに魅了されてしまった。

 この作品の中で使われている曲は当然のことながらすべてレイのものである。もちろん一曲一曲も聞いていて、品のない言い方かもしれないが、かっこいい。しかし、英語の歌詞がわからない私にとってその一曲はかっこいいだけでしかない。一方この作品の中で使われる曲は作曲された時のレイの気持ちや状況を映像を使って分かりやすく表現しているため、それまでかっこいいだけだった曲の中に命が吹き込まれたような感覚だった。また、映像も素晴しい。写真を撮る身としては、1カット1カットを写真として切り取りたくなるほど、色彩、構図などが美しく、こんな写真をいずれ撮ってみたいと終始思っていた。
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# by jokerish2 | 2005-09-26 21:35 | 映画

新聞 『こばのへりくつ -夏休みの宿命-』

++ 前編 夏休み – have to & want to -

 皆様は夏休みを如何お過ごしになられたでしょうか。大学生の夏休みは長いもので2ヶ月程あるのは周知の通りでございます。そして、その時間の使い方は人それぞれ、勉強に精を出す人もいれば、旅に出る人もいる、はたまた何もせずにゴロゴロしている人もいると思います。「やりたいこと」を何でもできる、大学生にとって貴重な期間です。しかしながら一方で、期待膨らむ夏休みに漏れなく付いて来るのが様々な「やらねばならぬこと」であります。例えば、通年の授業を履修していればレポートがあるかもしれない、またゼミに入っていればその課題もあるでしょう。この厄介者たちを片付けてこそ心から夏休みを満喫できるというもの。言わば大学生の夏休みは「やらねばならぬこと」との戦いなのです。

 御多分に洩れず私も数多くの課題を抱えている身であります。ミクロ経済学、マクロ経済学、計量経済学などゼミで出された課題は数知れず、さらには授業で課されたレポートと枚挙に遑がありません。そして、もちろん、旅や読書や蹴球などやりたいことも山ほどあります。約50日余りの夏休み、うまく遣り繰りして有意義な時間を過ごせるのか否か、私の手腕次第と言ったところでしょうか。


++ 後編 秋学期直前 –課題山積は大学生の宿命か-

 空は高く、また夕焼けが秋の様相を呈してきた9月中旬。私の目の前には課題が山積みであります。「やりたいこと」ばかり追求してきた結果なのか。「やらねばならぬこと」は二の次にして、計画を立てても計画表は見て見ぬふり、迫り来る期限に焦燥感を覚えつつもなかなか上がらぬ重い腰、皆様もそんな経験はないでしょうか。例年の如く私は今年も同じことを繰り返してしまったわけです。これから約一週間が思い遣られます。

 さて、ここでふと思うのです。なぜ私たちは毎年のように同じような状況に陥ってしまうのかと。何も考えずに過しているとでも言うのでしょうか。はて、そうは思えないのです。なぜ課題山積の状況に陥ってしまうのか、以下で考えてみることにします。
では、まず、それぞれをやりたいこととやらねばならぬことをやって得られる満足度を比較してみます。すると、おそらく①の様になると考えられます。

【やりたいことをやって得られる満足】≧【やらねばならぬことをやって得られる満足】―①

 ①から明らかなように、余程の変わり者でない限りやりたいことを優先してやらねばならぬことが後回しになると考えられます。と、書いてみたもののこれは本当でしょうか。このやらねばならぬ課題には期限があることを考えてみて下さい。すると、課題は期限内に必ずこなされることになるのでいつ何時やろうとも量は変わらず満足度は変わらないのではないでしょうか、つまり、①から直接「やりたいことを優先する」とは言えません。ではなぜやらねばならぬ課題は後回しにされるのか。ここで、前編にあった一文「この厄介者たちを片付けてこそ心から夏休みを満喫できる」を思い出して下さい。変な所に伏線は張られているもので、何気なく書いたこの一文、疑ってみる価値がありそうです。どういう事かと言うと、やらねばならぬことがある状態とない状態ではどちらがやりたいことをできるのかです。もし「やらねばならぬことがある状態の方がやりたいことができる」―② と言うことが証明されれば、課題山積の状態が説明できるはずです。

 では②とはどういう状態でしょうか。私はこう考えました。まず、夏休みの初めに課題を終わらしてしまうA君と夏休みの終わりまで課題を終わらせないB君の2通りを考えます。A君は課題も終わったのでこれからやりたいことに時間を費やそうとしています。しかしながら、暇そうなA君を見た家族や友達はA君に頼み事をしてきます。「時間あるならやってよ」と。ここでA君はやらねばならぬことがない故に断る理由もなく、頼まれ事をこなすことになります。一方B君はというとA君とは異なり、いくら頼まれても「やらねばならぬことがあるから無理だよ」と言い張り引き受けません。さて、A君とB君、どちらの方が夏休みを満喫できているでしょうか。やらねばならぬことの量は変わらないので、やりたいことをできる量の多い課題を後に残す方が夏休みを満喫できているのは一目瞭然です。従って、秋学期直前まで課題を残している大学生たちは実は無計画に過してきた結果ではなく、むしろ合理的に考えた結果として課題が山積しているのです。


++ おわりに

 そうはいっても、やはり夏休みの最後に課題を抱えているのは嫌なものです。これは所詮私の屁理屈(課題山積の言い訳)でしかなく、結局は計画的に生活した方が気持ちよく新学期を迎えられるのかも知れないですね。
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# by jokerish2 | 2005-09-14 00:21 | 新聞記事

エッセイ 『文明論之概略』 

エッセイ NO.14 『文明論之概略』 
福澤 諭吉 著

<印象に残った言葉>
 「古人は古にありて古の事を為したる者なり。我は今にありて今の事を為す者なり。」

 この言葉の後には以下のように続いている。
 「…何ぞ古に学びて今に施すことあらんとて、満身あたかも豁如として、天地の間に一物、以て我心の自由を妨るものなきに至るべし。」

 古き悪習に囚われない自由な福澤諭吉の気風漂う前向きな言葉だったのでこれを選択した。私自身は古い考え方に縛られ、身動きが取れなくなる時が時折ある。それは偏に思考していないから、つまりは今まで見聞してきたものを考えもせずに受け入れているからである。そうと解ってはいても、気付くと身動きが取れなくなり、冷静に考えると何かに囚われている自分がいる。そんな私にとってこれは常に頭の隅に置いておかなければならない言葉である。

<感想>
 文語体で書かれているため理解することが難しい箇所が幾つかあり処々わからない文があったものの、直後に容易な例示をしているため大意は読み取れたと思う。私でも大意を掴めるように工夫された構成こそが福澤諭吉の実力であり、また『文明論之概略』が良書として130年も生きながらえてきた所以ではないだろうか。

 まず全文を読み終えて初めに感じること、それは福澤諭吉の一貫した日本の独立―福澤諭吉が言う鎖国時代の偶然の独立とは異なる独立―に対する並々ならぬ気概である。終始私は理路整然かつ気持ちの入った文の連続に圧倒され続けてしまった。それと共に、1つ1つの事象に対する本質を突いた物言いにも脱帽であった。ここで数ある物言いの中から幾つかを挙げると、「原因を近因と遠因との二様に区別し…(中略)…故に原因を探るの要は近因より次第に遡て遠因に及ぼすに在り。其遡ること愈遠ければ原因の数は愈減少し、一因を以て数様の働を説く可し。」や「自由の気風は唯多事争論の間に在て存するものと知る可し。」などがそれである。これらは抽象化されているが故に、当時だけでなく現代でも重要な考え方として肝に銘じておくべきものばかりだ。また、「昔年の異端妄説は今世の通論なり、昨日の奇説は今日の常談なり。然ば則ち今日の異端妄説も亦必ず後年の通説常談なる可し。学者宜しく世論の喧しきを憚らず、異端妄説の譏を恐るゝことなく、勇を振て我思ふ所の説を吐く可し。」とあるが、明治初期にしてアダム・スミスやガリレオを引き合いに出し本質を見出してしまう福澤諭吉には驚嘆するばかりである。

 さて、この『文明論之概略』で福澤諭吉は「国の独立は目的なり。今の我が文明はこの目的に達するの術なり。」と書いているように、内外圧が入り混じる明治初期に日本の独立には西洋文明を学ぶことが必要であると説いている(ここで言う独立とは精神の独立であり、また文明とは人の知徳の進歩である)。ここで文明国の仲間入りを果たしたと言われる現代の日本を省みると、明治時代に福澤諭吉が言った文明化―知徳の進歩―は成し遂げられたと言えるのだろうか。私は否であると考えている。なぜなら、名ばかりの科学技術が進歩する一方で国民個々人の知徳―日本古来の知恵(インテレクト)と徳義(モラル)―が世代を経るごとに低下しているという実感があるからである。皮肉ではあるが、それが達成されていないからこそ130年も前に書かれた国の独立を目的とする『文明論之概略』が今も尚読者に福澤諭吉の志の大きさを感じさせるのだろうと思う。

 最後に。福澤諭吉著の作品を読んだのは『福翁自伝』に続き2作目であった。『福翁自伝』の時も感じたように、独立のためには文明化が必要であるという首尾貫徹した考え方に改めて感服せざるを得ない。またこの作品では論理的に独立の必要性を説く作品故に、『福翁自伝』の時には見られなかった「言いたい事を解り易く伝える」表現方法を使うなどの新しい発見も多々あった。読めば読むだけ味の出てくる作品はそう多くはない、長い付き合いになりそうな作品である。
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# by jokerish2 | 2005-09-12 04:13 | エッセイ(課題)

エッセイ 『シュンペーターのヴィジョン』 

エッセイ NO.13 『シュンペーターのヴィジョン』 
R.L.ハイルブローナー 著

 ヨーゼフ・アロイス・シュンペーター、彼は「世俗の思想家たち」の締め括りに相応しい人物であると心からそう思う。スミス、マルクス、ヴェブレン、ケインズと彼を凌ぐ名声を手に入れた名立たる思想家たちを差し置いて彼が最後に相応しいと思うのはなぜか。それは著者ハイルブローナー氏のこの一文に集約されていると私は考える。

「ヴィジョンという語そのものはシュンペーターのものである」

 振り返ってみると、今までに登場した世俗の思想家たちは自らのヴィジョンを意識していただろうか。恐らく彼らは無意識の内にヴィジョンを持ち合わせていたかもしれないが、答えは否であり、シュンペーターの様にそれを―過剰なまでに―意識していた人物はいなかった。そのためか、私にとって彼の考えはヴィジョンが先行しがちであり、論理は理解できるものの、果たしてそれが経済理論と言えるのか甚だ疑問であった。このことは著者も文中で述べているように、彼の考えは経済学ではなく歴史社会学と言った方が適切なのかもしれない。論理から導き出されるヴィジョンではなく、自らが思い描くヴィジョンから導き出される論理の方向へと世界が動くと信じていたシュンペーター、今なお私たちを惹き付ける彼はまさに知的巨人であると言えよう。
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# by jokerish2 | 2005-08-25 21:11 | エッセイ(課題)

歴史 『宮本武蔵(三) 』

歴史 No.13 『宮本武蔵(三) 火の巻』 吉川 英治 著

 火の巻では武蔵を取り囲むお通、又八、小次郎を初めとする多くの人たちが登場する。そして、それぞれの話は次へ続く吉岡清十郎との戦いが行われる京都へと向かってゆく。武蔵の元へ集まる手筈が整えられてゆく様に、私はつい胸を躍らせてしまう。次の展開を待ちきれない気持ちにさせる著者はさすがである。

 話を戻そう。火の巻で最も印象に残ったのは又八の考え方である。彼は剣で武蔵に勝つことが難しいことを悟ると、剣とは異なる世界で武蔵以上に成功しようと考える。この又八の考え方は、勉強集団で芸術に走ったり、芸術集団で勉強に走ってきた今までの私を見ているようで耳が痛い。今思えば、このような勝負をしない逃げの姿勢での成功はとても難しいことがよくわかる。しかし、又八はそんなことに気づく由もなく舞台は着々と京都へと向かってゆく。
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# by jokerish2 | 2005-07-27 00:18 | 本:歴史・ノンフィクション

映画  『冬の運動会』

映画 NO.7  『冬の運動会』

「なぜ人は隠れ家を持ちたがるのか」

 本作品に出てくる人は皆戸籍上の家以外に精神的な家を持っている。精神的な家、それは本当の家からすれば隠れ家である。隠れ家、子供の言葉で表せば秘密基地であろうか。私にとって子供の頃の秘密基地は家にいたら怒られるに決まっている奇抜なことを現実に投影する場所であった。言い換えれば、自らのクリエイティビティーを最大限に発揮してやりたい放題いろんな物を作ったりいろんなことをしたりする場所である。

 しかし子供とは違い、大人の隠れ家とは何だろうか。本作品では、隠れ家は本当の家では充たされない何かを埋める場所として描かれている。親の愛情や息子への期待などがその何かである。確かに、不足した欲求を外に求める気持ちもわからなくはない。特に家から得られる満足は固定的であり、そこで不足するものは外で充たす他ないだろう。この関係は家に限らず、様々な場面で言えそうである。本物から得られないものを擬似から得ようとする。そして本物から得るものが固定的であればあるほど擬似へ逃避してゆく。

 なるほど隠れ家は人の心のバランスを保つ上で重要な役割を果たしているのかもしれない。とはいえ、やはり本当の家でそれを充たせるのが一番よいのだが。
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# by jokerish2 | 2005-07-26 19:41 | 映画

歴史 『宮本武蔵(二)』

歴史 No.12 『宮本武蔵(二) 水の巻』 吉川 英治 著

「強すぎる、もうすこし、弱くなるがよい」

 3年間の読書生活の後、武者修行のため諸国を渡り歩いていた武蔵は宝蔵院の僧日観にそう言われる。強くなろうと修業に励む武蔵にとって、その言葉は理解できぬものであった。もちろん私にもわからないが、ここまで見てきた武蔵を踏まえて考えてみると、武蔵は沢庵に剣は文武がひとつになって力を発揮すると教わり、そして文をある程度備えてから武者修業に出たにもかかわらず、武蔵の行動はやはり強いものを剣で倒す武のことばかりに目が行っている。時折、日観や石舟斎のような武蔵よりも格段上の存在を目の当たりにした時、武蔵は剣の真髄に、そして自分の弱さの所以に近づきそうになるのだ。日観はそこを指摘したのではないだろうか。修業不足を自覚し石舟斎に会わずして旅立った武蔵、先の見えない剣を求める武者修行は続いてゆく。
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# by jokerish2 | 2005-07-26 11:18 | 本:歴史・ノンフィクション

映画  『電車男』

映画 NO.6  『電車男』

 オ(ヲ?)タクを主役とする映画や本がなぜこれほどまでに人を惹き付けるのか。本を読んでいない私はそれが全く理解できなかったのだが、この映画を見て少なからずその理由がわかった気がする。

 電車男、彼のパーソナリティーは映画を観ている人に優越感を与える。オタクで彼女いない歴=年齢など、彼を形容するために並べられる言葉は社会的に見てネガティブなものばかりである。従って観ている人は彼のパーソナリティーを哀れみの目で眺めると同時に、自分より経験のない彼を応援したくなるのだろう。

 また、人は皆コンプレックスを持っていると思う。得てして、そのコンプレックスは人から自信を取り上げる。その代表例を電車男とすると、それを克服して成功していく電車男はコンプレックスを持っている人たちに希望を与えるのかもしれない。こんなコンプレックスの塊みたいな人間が頑張れるなら自分も頑張れると、私も希望というか自信みたいなものを少なからず感じていた。

 深いことを考えなければ、気晴らしに楽しめる作品である。
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# by jokerish2 | 2005-07-24 14:54 | 映画

エッセイ 『アマルティア・センの魅力を探る冒険』

エッセイ NO.12 『アマルティア・センの魅力を探る冒険』 
荻澤 紀子 著

 1998年アジア人で初めてノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン、私は受賞後の彼の言葉に感動した。ここでは敢えて本文をそのまま引用することにしよう。

――心配しているのは、もっと貧しい人たちのこと。インドネシアやタイの貧しい人、米国の医療保険未加入者や西欧の失業者の方だ。資本主義に修正が必要なら、こういった点である。
――アダム・スミスに始まる経済学の偉大な伝統は、貧しいものに同情・共感することであった。
――国籍に関係なく、悲惨な境遇にある人々とその暮らしに関心を寄せることこそ、経済学の真髄なのである。

 彼の業績も然る事ながら、私は彼の思想の根底に存在する価値観に尊敬の念を抱かずにはいられない。上述の彼の言葉からも窺えるように、貧しい人たちに対する彼の姿勢は慈悲深いという言葉が最も相応しいと言える。また、正統派の厚生経済学が前提とする合理的個人の行動仮説に疑問を感じているところからも、彼の価値観を感じられるだろう。彼が関心を寄せる貧しい人たちが如何に合理的個人の行動仮説で説明できないか、それを知っている彼ならではの的を射た指摘であった。

 このような経済思想家たちの考え方を眺めていると、彼らの価値観が滲み出てくるような感覚を覚えることがよくある。まるで彼らの思想それ自身が1人の人間であるかのような、それくらい強烈な印象を受けるのである。彼らの価値基準に基づいて全身全霊を捧げて生み出される思想であるから、それくらいのエネルギーを秘めていても不思議ではないのかもしれないが、やはり圧倒されてしまう。

 価値判断を多分に含んだ考え方を展開したアマルティア・センを読んだことで、今まで腑に落ちなかったことが繋がり始めた。と同時に、私の書いた論文が如何に希薄な価値観の下に書かれていたのかにも気づいた。自らの価値観ではなく常識に捉われた論文がどれほどつまらないものか。この教訓を生かし、次に繋げて行きたい。
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# by jokerish2 | 2005-07-11 00:18 | エッセイ(課題)

映画  『トップガン』

映画 NO.5  『トップガン』

 トップガンとはアメリカ軍パイロットのエリートが集まる空中戦教育のための訓練校である。そこでの物語が本作品であり、海猿の海同様、空の厳しい世界が描かれている。内容はそれほど特筆すべきところはなかったが、私は終盤のある出来事に対するアメリカ人の態度に驚いてしまった。

 トップガンの卒業式の途中、突然出撃命令が出された。アメリカの情報収集船が他国の領海を侵犯してしまい、敵国の戦闘機の標的となっているため救援に向かうという命令であった。出撃の末、敵国戦闘機を撃墜することに成功し、待機していた仲間たちが大喜びするシーンがある。このシーンに私は驚いた。

 そもそも敵国に進入したのはアメリカ艦にも関わらず、それを追い払いに来た戦闘機まで撃墜して歓喜の声を上げている姿は如何にもアメリカ的だなと思ってしまう。アメリカ中心と言うか何と言うか、20年経った今もアメリカ中心の考え方は依然変わっていないようである。
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# by jokerish2 | 2005-07-03 21:22 | 映画

映画  『海猿』

映画 NO.4  『海猿』

 海上保安官の中のわずか1%しかなれないという海難救助のエキスパートである潜水士。それを目指し訓練する14名の姿を描いた作品である。海上保安庁の協力もあって、訓練生の姿や潜水士が直面する海の危険は観ているものを圧倒する臨場感を持っていた。海を守る男たちの強さを感じずにはいられないというのが私の率直な感想である。また、私は彼らの力強さだけでなく、絆の強さにも心を打たれた。潜水士はバディと呼ばれるパートナーと二人一組で行動するのだが、その二人の絆はもとより、そこから派生する訓練生全体の連帯感は見ていて清々しく、心が洗われるようであった。

 青春映画はたまに観ると、とても気持ちが良い。誇大に表現しているためか、頻繁に観ると嫌気がさすが、やはり時々観ると「殺伐とした世の中がパッと明るくなって見える」、そんな気がする。このようなところが青春映画の醍醐味ではないだろうか。
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# by jokerish2 | 2005-07-03 20:42 | 映画

歴史 『宮本武蔵(一)』

歴史 No.11 『宮本武蔵(一) 地の巻』 吉川 英治 著

 読み終わった後のこの感覚は何なのだろうか。武蔵はもとより又八、お通、沢庵といった人物が頭の中に映像となって残っている。それくらいそれぞれの人物に人間味を感じ、印象に残ったのだろう。この感覚は初めてであった。早く次を読みたくて仕方がない。

 宮本村の武蔵(たけぞう)は強い。しかし、その強さ故に力任せすぎた。自らが正しいと思うことや使命と感じることに一直線に進み、後先考えずに行動する。まさに文武の武しか備わっていない人物である。そんな武蔵ではあるが、あるとき僧沢庵と出会うことで生まれ変わることになる。沢庵は言う「―怖いものの怖さを知れ。―暴勇は児戯、無知、獣の強さ。―もののふの強さであれ。―命は珠よ。」と。武蔵はそれまでの悪行を悔やんだ。その後武蔵は3年間読書のみの生活を送ることになり、21歳のとき、宮本武蔵(むさし)という新たな名とともに新しい人生が始まった。

 地の巻の中で、私は「文武両道」の重要性を実感した。文武両道を謳う高校いながら、少しも文の大切さを理解せずに卒業した私にとって、18歳で沢庵と出会えた武蔵を羨ましく思う。と同時に、私も一層読書をしなければと刺激を受けた。
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# by jokerish2 | 2005-07-02 18:34 | 本:歴史・ノンフィクション

本 『ワールドカップの世界地図』

 本 NO.5  『ワールドカップの世界地図』 大住 良之 著

 2002年には日韓ワールドカップが開催されサッカーが日本中の注目を集めた。そして来年にはドイツワールドカップが控えている。日本代表はアジア予選を突破し出場の切符を手に入れた。ますますサッカー熱が過熱する中、本書はワールドカップをより楽しむためにサッカー初心者の方に薦めたい一冊である。

 私はよく調子が悪い時に有名なゴールシーンを見て気持ちを高めている。そのゴールシーンとは86年メキシコ大会アルゼンチン対イングランドのマラドーナの5人抜きである。理由はよくわからないが、あのシーンを見ると私はとにかく興奮してしまう。一回見ていただければわかると思うが、あのシーンにはワールドカップの醍醐味がつまっていると私は考えている。まさにスペクタクルという言葉がふさわしい。本書の中にもこのシーンを含め、数々のワールドカップ伝説が書かれている。世界中で十数億人が熱狂するワールドカップの雑学を学ぶには良い本であった。
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# by jokerish2 | 2005-06-28 11:02 | 本:その他

歴史 『イエスの生涯』

 歴史 NO.10  『イエスの生涯』  遠藤 周作 著

 本書は著者が聖書、福音書の他、過去に書かれたイエス伝から真のイエスを推理した小説である。強引な推測も多々見受けられるものの、全体としてはなるほどと頷けるものであった。

 イエスは生涯に渡り彼の描きつづけた神の愛、愛の神を誰に理解されることもなかった。人々は無力な愛よりも現実的な効果をもたらす力を神に求めていたのだ。それ故、人々は愛を唱えるだけのイエスが無力と知るや否や彼を見捨てる。弟子たちでさえも彼を裏切り見捨てた。そして、全てに見捨てられたイエスは磔刑を宣告され、その生涯を終えることになる。

 私はイエスがその死後に神とたりえた所以は数多くの伝説ではなく、十字架につるされながら語った言葉にあるように思う。彼を見捨てた人々や裏切った弟子たちにさえ、彼は許しを神に請うたのである。私には到底理解できぬ心境である。こんな人がいるのかと素直に驚いてしまった。

 いずれにせよ、これらが事実かどうかは不明である。しかしながら、著者は言う「これらは事実ではないかもしれないが真実である」と。確かに事実ではないかもしれない真実の存在がイエスを支えているのかもしれない。
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# by jokerish2 | 2005-06-28 10:13 | 本:歴史・ノンフィクション

コラム 『スポーツ振興くじtoto3,出足好調』

コラム NO.4 『スポーツ振興くじtoto3,出足好調』

< 要約 >
スポーツ振興くじ(サッカーくじ、toto)の売り上げ回復策として新たに5月から発売された「totoGOAL3」の滑り出しが好調。「totoGOAL3」は6チーム(3試合)の得点を予想する手軽さで売り上げを伸ばし、試合の勝敗を予想する「toto」と合わせて、昨年の総売り上げを超える勢いだ。
ただし、totoGOAL3の伸びに対し、それにつられたtotoの売り上げ増は見られず「新規の顧客を獲得するまでの影響は出ていない」というのが販売元の分析。また先週、今週はJ2を対象としたtotoGOAL3のみの販売で、「せっかくいい状態でスタートしただけに、心配している」と広報担当者。J1が再開される7月からが、真の意味で新くじが定着するかどうかの正念場となる。(読売新聞)

< 見解 >
「totoGAOL3」の導入によってスポーツ振興くじの売り上げが伸びている。これはスポーツ振興くじの売上金の分配先を見れば好ましい状況であると言えるだろう。以下の売上金構成比を示した図(ページ最下部)を見ていただきたい。図から明らかなように、売上げの約3分の1はスポーツ振興事業に当てられる。特に今回導入されたくじは1回当たり従来の4.5倍である1億4310万円の売上げを出している。

上記のようにスポーツ振興くじはスポーツ振興事業の重要な財源となっているのだが、一方で反対意見があるのも事実である。スポーツ振興くじは一般的に言われる勝利至上主義を助長し、スポーツによる青少年の健全育成が妨げられるのではと言うがその論拠だ。どのように青少年に影響があるのか示して欲しいところではあるが、もし悪影響があるとすればこの意見も一理あるようにも思う。しかしながら、これは価値判断の問題であって何が正しいと言える問題ではなさそうである。

話がそれたが、私はスポーツ振興くじに賛成である。くじが売上げを伸ばし振興事業が活性化し、青少年のスポーツ機会が増加する。それによってスポーツによる教育が可能と考えるからだ。このような立場から、スポーツ振興くじの現状を見ると、もう少し売上げを伸ばす努力をして欲しいと感じる。当選確率の高さなどその魅力を存分にアピールしなければ、新規顧客獲得は難しいのではないだろうか。
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# by jokerish2 | 2005-06-26 12:25 | コラム

本  『スポーツ生活圏構想』

 本 NO.4  『スポーツ生活圏構想』 
 電通総研スポーツ文化研究チーム+加藤久 著

 本著は右腕の参考文献として読んだものですが、意外とおもしろかったので感想を書きます。内容は「スポーツとは何か」から始まり、コミュニティを作る存在としてスポーツの意義などを説明しています。また様々なスポーツ関連の指標を使って都道府県のスポーツ豊かさ度をランキングして、さらにその結果を分析しています。

 中でも特に私の興味を引いたのが、ドイツのスポーツクラブの生立ちでした。本文をそのまま引用すると「スポーツ環境の整備に対する連邦(国)や州の基本的なスタンスも、お金は出すが干渉はしない、つまり、スポーツクラブの運営や活動の展開は、クラブメンバー、地域住民に委ねられ、行政はあくまで施設の整備など環境改善にその役割を自主規制している」らしいです。こんなことは日本では考えられないと私は思いました。日本では行政主導が慣例であり、地域住民が自主的にスポーツクラブを運営している姿は想像できません。また、政府もお金を出している以上干渉せずに我慢することはできないと思います。

 そのように考えると、日本には地域総合型スポーツクラブは根付きにくいのではないでしょうか。少なくとも日本は、ドイツ社会のように都市国家の形態が集合し大きな単位の国家を形成しているわけではないので、ドイツと同じ論理の自治意識の高さは期待できません。スポーツクラブが根付く土壌がない日本ではヨーロッパとは違う独自の手法が必要になるはずです。しかし、残念ながら現在の政策ではそれを実感できません。これからは模倣する側ではなく模倣される側になっていかなければならないとスポーツの分野でも感じてしまいました。

++ おまけ
スポーツ豊かさ度ランキングの順位
1位 山梨県  2位 長野県  3位 鳥取県
45位 大阪府 46位 福岡県 47位 青森県
詳しくは本著p.52-145参照。
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# by jokerish2 | 2005-06-25 01:33 | 本:その他

歴史 『勝者の混迷(下)』

 歴史 NO.9  『勝者の混迷(下)』  塩野 七生 著

 前巻に引き続き、本巻もマリウスとスッラの時代から始まり、スッラの後に頭角を現すポンペイウスの時代までが描かれている。相も変わらずこの時代は混迷していたのだが、スッラとポンペイウスの二人の活躍は目覚しかった。

 スッラ、彼にはビジョンがあったと言うのが相応しいだろう。ローマの混迷に秩序を回復するための行政改革は的を射ていた。制度を立て直すために制度を破る行動は、一見矛盾するようだが、的確な判断だったように思う。しかし、漸く成し遂げた秩序を見方に破壊される様子はいかにもスッラらしい皮肉であった。とは言え、やはり彼の構想は素晴しいと言うほかないだろう。

 一方、ポンペイウスはスキピオ・アフリカヌス以来の天才と言われる逸材であった。軍事、政治の両面で優れていたため、読み進めるうちに「内臓の成長」の最終段階を仕上げる人物かとも思ってしまった。しかしながら、世の中には偉人の上に偉人がいるらしい。

 ローマ史上の「偉大なる個人」がいよいよ登場するようだ。今から楽しみで仕方がない。
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# by jokerish2 | 2005-06-25 00:54 | 本:歴史・ノンフィクション

新聞 『こばのへりくつ -電車の中にて-』

++ はじめに

 当コーナー「こばのへりくつ」では日々の生活で気づいたことについて考えたことを書いていきたいと考えております。初回である今回はテーマを「電車の中にて」としまして、通勤電車に揺られながら考えたことと、高校生の話を盗み聞きして考えたことを書きました。どうぞご覧下さい。


++ 前編 午前8時の東西線 -社会の奴隷たち-

 先日、学校に向かう時の話。わたくしは通学のために東京メトロ東西線を利用しています。千葉県民と東京都東部の準千葉県民を乗せて走り、通勤ラッシュ時の混雑具合は総武線に引けをとらないことで知られる路線であります。以上の形容だけでは、東西線の混雑感が伝わらないと思います故、もう少し具体的に説明致します。最も混雑を極める平日午前8時の東西線東陽町-茅場町の状況を説明したいと思います。以下の点が東西線で起こる現象です。

① 初めてこの時間帯に乗車を試みる方は乗車できないと思われます。
② かばんを肩にかけたまま乗車した際、中に入っているおにぎり等は確実に潰れます。
③ 扉側に乗り込んだ方は体の一部又は手持ちの物が扉に挟まれます。
④ 乗り込めた方の中で体重の軽い方は気付いた時には足が宙に浮いています。
⑤ 電車のブレーキ時には確実に人間の雪崩を体感できます。
⑥ 時には座席に座っている人の上に座っていることもあります。

 これは東西線現象のごく一部、わたくしが体験したものに過ぎません。しかしながら、東西線の恐ろしさは伝わったのではないかと思います。伝わったと仮定しまして次に進ませていただきます。

 こんなに恐ろしい東西線に何気なく乗車しているわたくしですが、ふと客観的に東西線を眺めてみると不思議な世界が目の前に広がっていることに気が付きました。東西線に乗車している人々は毎日定刻にスーツという名の作業着で身を固め、すし詰め状態の電車に乗る、そして、会社という工場でサービス残業を含む12時間以上の労働をする。なぜでしょうか。なぜここまでしてこの時間の東西線に乗るのでしょうか。このような現状を眺めていると、ひまらや氏がネクタイを「社会の奴隷の証」と形容したように、人々が社会の奴隷に見えてしまいます。いや、奴隷に見えるのではなく奴隷なのでしょう。奴隷だからこそ東西線に乗るのです。何せ奴隷でいれば衣食住は事足りるのですから。

 一段上の視点から書いてみたものの、私も東西線に乗っているわけです。偉そうなことは言えません。後編ではその東西線の中で気になった事について書いていきたいと思います。


++ 後編 高校生が語る取り付け騒ぎ

 まず、車内で近くに立っていた高校生の会話を盗み聞きして考えた話です。どうやら政治経済か歴史の授業で習った取り付け騒ぎについて話しているようです。会話の中身を彼らの言葉を使って手短に言いますと、「銀行の取り付け騒ぎがおこる原因は銀行が破綻するかもしれないという噂が広まって、その噂を聞いた人たちが一斉に預金を引き出しに行くから」らしいです。日本語として変なところもありますが、つまり、取り付け騒ぎという現象は破綻するかもしれないという不確実な噂が引き起こすようです。

 本当にそうなのでしょうか。間違ってはいないとは思います。ただ、近頃、合理的個人というものを少しだけでも学んだ人間の目を通すと異なった世界が見えてきます。

 まず、A銀行が破綻するかもしれないという噂を聞いたときA銀行に口座を持っているあなたはどのような行動をとるでしょうか。高校生が言っていたように一目散に預金を引き出しに行きますか?行くと答えたあなたはなぜそれを選んだか考えてみてください。おそらく無意識のうちに合理的に判断しているのではないでしょうか。不等式で表すと以下のようになります。

【噂が本当か確かめるコスト】>【預金を引き出しに行くコスト】

 つまり、取り付け騒ぎは噂が噂を呼び起こる現象ではなく、噂が本当か確かめるくらいなら預金を引き出したほうが楽だから起こる現象なのです。

 そして高校生はこのように続けていました。「だから、噂が広まったらどうしようもないらしいよ」と。わたくしの考え方が正しいとすれば、噂が本当か確かめるコストが低ければ取り付け騒ぎは起きないはずです。従って銀行には企業情報を大公開していただきたいものです。そうすれば、噂を確かめるコストはかなり削減され、取り付け騒ぎは起きないのではないでしょうか。自らの首を絞めないためにも企業情報公開をお勧めいたします。


++おわりに

 わたくしはゼミで勉強して得た考え方をこのように使っております。まだまだ身近なことにしか応用できていませんが、今後は公の問題に、そして世界に羽ばたいていくことを目論んでいる次第であります。今後ともわたくしのコーナー「こばのへりくつ」をどうぞよろしくお願いいたします。
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# by jokerish2 | 2005-06-19 21:38 | 新聞記事

エッセイ 『ヴィクトリア期の世界と経済学の異端』

 エッセイ NO.11 『ヴィクトリア期の世界と経済学の異端』
 R.L.ハイルブローナー 著

 「正統か異端か」それは考え方が正しいか否かではなく、その時代の思想・風潮に適合するか否かで決定される。どれだけ正しいことを主張したとしても、それを受け入れられない背景や受け入れる必要性がない場合、異端者は時代の片隅に置かれ時には抹殺されてしまう。極端な例を挙げれば、17世紀前後のコペルニクスやガリレオ、ブルーノが異端者の代表格になるだろう。彼らほどではないにしろ、ヴィクトリア期のイギリスも正統派経済学者と異端派経済学者の運命がはっきりと分かれた時代であった。

 当時のイギリスは発展期にあり資本主義システムを悲観的に概観する人物を求めていなかった。従ってヴィクトリア期には資本主義システムを緻密な論理を組み立てて肯定する者が正統派となる。一方、資本主義システムを悲観視し、独創的な視点で資本主義システムの破滅を予言する者たちが異端派とされた。人間を「快楽機械」とし数理心理学で説明したフランシス・シドロ・エッジワースをはじめ、フレデリック・バスティア、ヘンリー・ジョージ、ジョン・A・ボブソンなどがそれである。

 彼らの思想は私を魅了するものであった。確かに、正統派の経済学者であるアルフレッド・マーシャルの論理などと比較すればその論理は不完全なのかもしれない。しかしながら、彼らの独創的な思想は的を射ていないとは言えず、時代背景が異なれば正統派となっていたことだろう。

 先に挙げたコペルニクスのように、異端として掻き消されてしまう思想は真理を突いていることが間々ある。絶対的に信じられた正統がある世界では、常識外れの異論は異端でしかないようだが、裏を返せば、突拍子もないことを主張する人物を見つけたら注意せよ、と歴史の異端者たちに示唆されている気がするのは私だけだろうか。
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# by jokerish2 | 2005-06-19 17:53 | エッセイ(課題)

エッセイ 『ユートピア社会主義者たちの夢』

 エッセイ NO.10  『ユートピア社会主義者たちの夢』
 R.L.ハイルブローナー 著

 なぜユートピア社会主義者たちは登場したのか。なぜ彼らは現実とは乖離した空想の夢物語を描く必要があったのか。その現場にいなかった私には理解できないほど過酷で残酷な状況がそこにはあったのだろう。19世紀前半のイギリス、そこでの労働者階級の待遇は悲惨なものであった。1日16時間労働や桶の中の残飯を豚と奪い合わせるなど、資本家階級は彼らを同じ人間として扱っていなかった。さらに、アダム・スミス、リカード、マルサスによって形成された経済法則はいつの間にか不可侵なものとなり、経済法則の下で生じる残酷な世界は必然的に成す術のないものとなってしまっていた。この状態を打開しようと極端な思想を展開したのがロバート・オウエン、サン・シモン、シャルル・フーリエをはじめとするユートピア社会主義者たちである。

 彼らの思想やそれに基づく行動は私に強烈な印象を与えるものであった。オウエンは、貧困問題を解決するためには貧しい人々を生産活動に従事させることが必要であると説き、それを実現する「共同村」の建設へと私財を注ぎ込んだ。また、シモンやフーリエの思想もサン・シモン教会やファランクスを産み出すに至った。今、私を取り巻く環境が彼らの生きた時代と同じものであったとしたら、私は夢物語を描けるだろうか。恐らく描くことはできないし、できたとしても行動に移すことはできないだろう。そう考えると、彼らは自らの思想に対して絶大な信頼を置いていたことがよくわかる。彼らにとって、彼らの思想は夢物語ではなく現状を打破する唯一無二の考えであったのだ。

 私は彼らの信念を追い続ける姿に敬意を表したい。彼らが決めたことを成し遂げる過程では、一時停止はあっても後退はないのだ。この姿勢は私にとって最も欠落しているものの一つであり、見習わなくてはならない。今の私の環境にはそれを修得できる可能性が大いにある。努力すればなんとかなるはずである。何せ「人間は環境の生き物である」のだから。
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# by jokerish2 | 2005-06-04 15:18 | エッセイ(課題)

エッセイ 『マルサスとリカードの陰鬱な予感』

 エッセイ NO.9 『マルサスとリカードの陰鬱な予感』
 R.L.ハイルブローナー 著

 アダム・スミスの調和的世界と言う楽観的なヴィジョンが提示されてから数十年、早くも彼とは180度異なる思想、つまり時代の視点を楽観論から悲観論へと変えてしまう二人の人物が登場する。その人物こそマルサスとリカードである。

 マルサスは著書『人口論』の中で「人の数は幾何級数的に増えるのに対して、耕作可能な土地の量は算術級数的に増えるのみである」と、続けて「その結果、大飢饉が背後からそっとしのびより、世界の食糧水準と人口を同じにしてしまう」と述べている。それ故彼は人口拡大を助長する貧民救済の撤廃を力説するなど、世間に「道徳的抑制」を迫るのだが、それが不道徳とみなされ30年間も人々に罵られることになる。

 一方、リカードは「誰もが一緒に進歩のエスカレーターを昇っていくという社会理論の終焉」を予見し、現状の社会から利益を得ることができる唯一の存在である地主を否定している。中でも国内の既得権益を擁護するために制定された穀物法に対して「地主の利益はあらゆる他の階級の利益に反している」と、より一層痛烈な批判を浴びせた。また彼は人々に罵倒され続けたマルサスとは異なり社会的地位と尊敬を手に入れることができた人物でもある。

 以上のように彼らは社会を悲観的に見ていたという点では同じであったが、その他の点では相反する人物であった。現実世界を観察し地主擁護を主張する学者のマルサス、理論家肌で地主を批判する実業家のリカード、この形容を見るだけでも主張、立場、思考が違うことがよくわかる。それでいて、この二人が親友と言うから尚興味を引く。彼らが後世まで名を残せたのは、互いに違った視点から議論を交わせる親友がいたからではないだろうか。切磋琢磨できる親友がいること、それ以上に自らを成長させる外部要因はないだろうと思う。
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# by jokerish2 | 2005-05-29 21:03 | エッセイ(課題)

本 『バカにみえる日本語』

 本 NO.3  『バカにみえる日本語』
 誤字等日本語研究会 著

 「こんばんわ」この言葉を見てどう思うだろうか。もちろん正しくは「こんばんは」であるが、最近では小学校の先生でも前者の表記が正しいと教える困り者がいるそうだ。

 本書ではひたすらこのような誤字や誤用を紹介し、それについて解説をしているのだが、その中で肝に銘じておきたいフレーズがあったのでここで紹介しようと思う。それは「どんなに論理的に書かれた論文であっても誤字や誤用が一つあっただけで信頼を失ってしまうものだ」というフレーズだ。確かに「危険はいろいろな場所に遍在している」などと書いたら、「奇跡的なミラクルですねぇ」と言っているミスターと大差がなく、たった一つの言葉で読者にバカだと思われてしまう。そうならないためにも言葉の使い方には細心の注意を払わなければならないと再認識した。

 これから様々な文章を書くことになる私にとって、この再認識は意味のあることだと思う。本書にも書かれているように、正しい日本語を身につける一番の近道は辞書を引く少しの手間を惜しまず、頻繁に辞書を引くことだそうだ。今まで犬猿の仲であった辞書と友好関係を築く時がきた、と心を改めてこれから努力していこうと思う。
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# by jokerish2 | 2005-05-29 00:34 | 本:その他

歴史 『勝者の混迷(上)』

 歴史 NO.8  『勝者の混迷(上)』  塩野 七生 著

 前巻の最後に反旗を翻してきたマケドニア、カルタゴを消滅させたローマだったが、本巻では内部に手を焼くことになる。若くして護民官となったティベリウス・グラックスがその改革を断行しようとするが元老院によって阻まれ、またその弟のガイウス・グラックスも辛酸を舐めることとなる。そして、その後この役目を担ったのが先祖の名も定かではないガイウス・マリウスであった。

 本巻で最も印象的だったのが、高貴な生まれと裕福な環境に恵まれていたグラックス兄弟が命を犠牲にしてまで高貴でもなく裕福でもない人の権利を守ろうとした姿だった。彼らは大人しく出世の階段を登って行けば執政官、後には元老院の中心になれる家柄であったにも関わらず、老朽化したローマのシステムに危機感を感じ、改革を断行しようとしたのである。文字通り護民官としての役割を果たそうとした彼らには感服であった。また、彼らは改革を急ぎすぎたものの、後の指導者たちに改革の道標を提示した功績は大きいと言える。ハンニバルの言う、「先に成長してしまった肉体を維持するのに適した内臓の成長」をグラックス兄弟は始めたのである。

 彼らのエネルギーの源泉は何であったか。おそらくそれはローマの存続、発展を切望する精神であったのだろう。私はローマの将来を見据えて信念を貫いてゆく彼らの姿に敬意を表さずにはいられない。指導者たるものこうあって欲しいものであると我々の指導者を見てそう思ってしまう。
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# by jokerish2 | 2005-05-23 13:16 | 本:歴史・ノンフィクション

映画 『トロイ』

 映画 NO.3  『トロイ』

 紀元前12世紀に起こったとされるトロイ戦争を題材にした作品である。さすがハリウッドと言わんばかりの壮大な映像もさることながら、内容もとても興味深いものであった。

 中でも人間の欲望に対する執着に焦点を絞って作品を眺めるとおもしろいことに気づく。作中の人物はそれぞれ野望を持っているのだが、それが権力であり、栄光、名誉、時には愛であったりする。アキレスに限っては永遠の名声を手に入れるために戦い続けた。富や権力、地位などには目もくれず、ただただ後世まで語り継がれる名を歴史に刻むことだけ目的に戦っていたのだ。他にもトロイの王子やスパルタの王のアキレスとは異なった野望を見ていると、人間が最も価値を置くものが何であるのか、また私は何を価値の源泉としているのかについて苦悩してしまう。

 あえて言うならば、私は苦労してより高い壁を乗り越えることに価値を見出しているのだと思う。過去の偉人たちのように権力や名誉などと言った大きな野望ではないのは確かである。まあ、私にとっては大きなことなのだが。
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# by jokerish2 | 2005-05-23 13:14 | 映画

エッセイ 『アダム・スミスのすばらしい世界』

 NO.8  『アダム・スミスのすばらしい世界』
 R.L.ハイルブローナー 著

 18世紀のイギリス、そこは残酷かつでたらめな無秩序な世界だった。その中から偉大な市場の運動法則を見出した人物がいる。そう、彼の名は『国富論』の著者であり「見えざる手」で知られるアダム・スミスである。

 彼は他の偉人たちと同様に奇行が大変多かったようだが、それに劣らず社会に対する洞察力もやはり素晴しいものを持っていた。その洞察力の凄まじさを窺えるのが著書の『国富論』であろう。18世紀の状況が手に取るようにわかるこの本の中で、彼は市場メカニズムについて一層深い考察を加えている。

 社会を結合させるメカニズム、つまり、万人が慌ただしく私利を追求している社会がどうして存続可能なのかということに彼は興味を持っていた。こうした興味から導き出された答えが「見えざる手」であり、これによって私利の追求と競争が社会的調和を導くという一見矛盾しそうな結果を説いたのだ。個々人が合理的に行動した結果、競争が生じ社会余剰が最大化する状態に収まる。そして、その機能を十分に発揮させるためにも完全に自由な制度を整備する必要がある。今となっては、このような考え方は経済学を少しでも学んでいれば当然のように聞こえるかもしれない。しかしながら、当時を想像して考えてみると彼の洞察力はやはり驚嘆に値するものである。

 彼は自らの生きる時代を百科全書的な視野と知識を駆使して正確に分析し描写した。200年以上も後の現代でさえ彼の考えた市場メカニズムが経済学の基礎となっているのだ。これ以上に彼の鋭い分析を証明するものは無いであろう。

+ 追記 +
 新しい視点で世の中を描写する人間は往々にして誤解されることが多い。彼の場合、『国富論』における新興企業家たち解釈が彼の主意とは異なったニュアンスで捉えられてしまった。そのため、彼が否定的に見ている産業家の行動の理論的根拠として利用されるという皮肉に直面することになる。これはマルクスにも当てはめられるのだが、このようなことは歴史的にままあることなのだろうか。今後注意して見ていきたい現象である。
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# by jokerish2 | 2005-05-22 23:59 | エッセイ(課題)

エッセイ 『マルクスの描き出した冷酷な体制』

 エッセイ NO.7 『マルクスの描き出した冷酷な体制』
 R.L.ハイルブローナー 著

 「マルクスは現実の社会主義の建設者ではなかった」この一文はカール・マルクスという人物を語る上で非常に重要なものである。世間一般に認識されているマルクスは社会主義の立役者でありそれを過大に主張した急進的かつ過激な学者というものであろう。私もそのように認識していた。しかしながら本章を読み進めると、一般的なマルクス像は虚像であり、彼の思想を全くと言っていいほど表現できていないことに気づいた。

 では、彼は社会主義者たちのバイブルとなった『資本論』の中で何を主張しようとしたのだろうか。それは「共産主義の創造」ではなく「資本主義の崩壊」であった。資本主義の欠陥を緻密な論理を組み立てて指摘し、その行く末に待ち構えているものは崩壊以外の何物でもないことを主張していたのだ。つまり、社会システムの理想が共産主義であると主張していたのではなく、資本主義の代替システムとして共産主義思想を描き出していたのだ。

 しかし、彼の冷徹な分析は論理的で完璧であるように見えるが、見逃してはならないところもある。それは彼の資本主義に対する否定的な姿勢である。彼は資本主義システムの中で苦しむ現実の世界を目の当たりにしていた。そのため、彼は資本主義の欠陥を説明するために現実を捉えきれていない理論的に完璧なモデルを用いてしまったのだろう。従って、完璧な資本主義モデルでは彼の言うように崩壊は不可避であったかもしれないが、実現することはなかったのだ。

 以上からわかるように、彼は過激な革命家ではなかった。むしろ資本主義の理論上の欠陥を指摘し、より良い社会システムを提案した冷静な経済学者であったと言える。ただ、時代が時代だったために、彼の思想は誤認され過激な社会主義の立役者にまでされてしまったのだ。全く不運な人物である。

 彼の思想を読み解くことが共産主義の理解よりも、資本主義の理解につながるとは世間の考えと比べ逆説的であるのがおもしろい。
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# by jokerish2 | 2005-05-15 12:51 | エッセイ(課題)