エッセイ 『創造の方法学』

 エッセイ NO.6  『創造の方法学』  高根 正昭 著

 創造とは、本著によると「物事の原因と結果を把握し仮説を構築、そしてその仮説を理論にまで持っていく」ことである。つまり物事をしっかり「考える」ということだろう。例えば新しい情報を得た際に、それをそのまま自分の知識にしてしまうのではなく、まずは「なぜ」と問いかけてみることだ。これはよく言われていることであるが、そのような習慣が身についていない私にとってまさに言うは易し行うは難しである。

 アメリカと比べ日本には創造をする習慣がないと文中にある。明治以降、日本は海外から知識を取り入れ模倣するばかりで、新しい知識を自ら生産することなく成長してきた。「なぜ」と問うことなく過してきた結果、ウェーバーについての知識は豊富だがその理論を使って新しい観察をするわけでもないウェーバーの専門家や、既存の考え方を継ぎはいで作った論文を書く学生が多く存在してしまったのだろう。正しく今までの私もその一人なのである。

 しかしながら、上述の日本人に陥りがちな模倣体質は訓練によって抜け出せるはずだと信じている。手本の一人が著者であるし、周囲にも少なからずいる。そして今、私自身が身につけようとしているのは他ならぬこの考える力なのだ。

 ここまでを振り返って見ると、現在学んでいる経済学や計量経済学(統計学)は筆者の言う創造をするために非常に重要であるということに気づく。特に経済学は、因果関係から仮説を構築してシンプルな理論を創り出しているゆえに筆者の言う創造の方法と酷似している。と同時にその理論は仮説の延長でしかなく、より信頼の置ける仮説にとって変わられる可能性を孕んでいる側面を見ても経済学と創造の類似点を見て取れる。

 今後、私は創造しなければならない場に幾度となく直面するはずである。最初からうまくいくはずはないのはわかっている。しかし、「自分で考える」と心がけてひとつひとつをこなしていくことで着実に成長していきたい。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:54 | エッセイ(課題)

エッセイ 『加藤紘一氏の講演を聞いて』

 エッセイ NO.5  『加藤紘一氏の講演を聞いて』

 加藤紘一、堂々とした姿勢だ。しかし、横柄な印象は無い。好感は持てないがその逆でもないといった感じだろうか。また、ひとつひとつの話は非常にわかり易いが、現実を描写しているだけで味気無く、全体としては非常に回りくどく感じた。もちろん参考にすべき内容の話も中にはあったのだが、今回は話の内容よりも彼が話しの最後に学生に質問したことについて考えたいと思う。

 日本、この国は明治維新後、西洋流の「富国強兵」「殖産興業」を目標に中央集権国家として政府が舵取りを行ってきた。戦争という一時の挫折はあったものの、戦後は世界でも類を見ないほどの経済成長を成し遂げ、世界最大の経済大国の一つにまで成長した。このように頂点にまで登りつめた日本人だが、海外の人から見ると幸せな顔をしていない人が多く映ると言う。

 それはなぜか。私はこう考える。富の多さが幸せの大きさではない。と同時に生活水準の高さも幸せの大きさに比例するわけではない。このことは経済成長を目指し奮闘している国の人間から見ると信じられないはずだ。

 では何が幸せをもたらすのか。それは人によって異なり一般化することは不可能である。もちろん富を求める人もいる、また富以上に余暇を求める人もいる、その他も然りである。しかしながら、政府主導の経済成長の名残だろうか、日本において「富=幸せ」という固定観念があるように感じる。この考えが自身の本当に欲することを犠牲にしてまで働く人々を生み出し、富があっても幸せそうな顔に見えない日本人が多い所以ではないだろうか。

 『福翁自伝』やその他の本にもあったように、ここでも今まで当然と考えていたことを疑うことが重要になってくる。「指導者たちと自分を同格に置いて考える」という加藤紘一の言葉も遠からず同じ意味を含んでいるようだ。鵜呑みにしないこと、自分の頭で考えること、シンプルなことが大切であると念を押された講演であった。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:53 | エッセイ(課題)

エッセイ 『ソースタイン・ヴェブレンが描く野蛮な世界』

 エッセイ NO.4  『ソースタイン・ヴェブレンが描く野蛮な世界』
 R.L.ハイルブローナー 著 

 19世紀のアメリカ、まさにそこは新世界であった。資力だけでは到達できない社会階級が存在するヨーロッパの旧世界とは異なり、この国では富こそが上流階級に入るための一番の近道であった。そのため、たとえ暴力的な手段によってその富が作り上げられたとしても、それが上流階級へのパスポートであることに変わりなかった。このような現状を経済学者たちはヨーロッパの古典派経済学に当てはめて考えようとしたが、新しく出現した世界を全くと言っていいほど捉えていなかった。時代は新しい考え方を必要としていた。現実と距離を置き、客観的にアメリカ経済を見つめることができる人物を。そこで登場したのがソースタイン・ブンデ・ヴェブレンであった。

 ヴェブレン、一言で言えば変わり者である。本文中にあるように「同時代の人々にはごく自然に見えた人間の行いが、彼にとっては人類学者の目に映る未開社会の儀式のような、魅力的かつ異国風で奇妙な行為に映った。」のだから。普通の人間ならば躊躇うことなく常識として蓄積される人間の行いを奇妙に感じてしまうその感覚、これこそが彼に備わった才能であろう。

 さらに、彼は「どうして事態がうまく収拾していくのか」ではなく「そもそも現状がそうなっているのはなぜか」を突き詰めて考えることによって次々と物事の本質を見極めていった。時に彼の主張は「実業家は制度の破壊者である」や「経済行動の動機は心の奥の不合理性に基づく」など常識と真逆なものであり、常識に捉われていない様子を多々うかがうことができる。

 彼の人生を眺めていると、的確な物言いには精神的な客観性が必要であることを感じずにはいられない。常識に捉われないということは、容易なことではないが、常に思考を対象の外側に置いて物事を客観的に見ることがその第一歩であることを彼の人生が物語っているようだ。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:53 | エッセイ(課題)

エッセイ 『J.M.ケインズが打ち出した異論』

 エッセイ NO.3  『J.M.ケインズが打ち出した異論』 
 R.L.ハイルブローナー 著

 ジョン・メイナード・ケインズ。言わずと知れた経済学者である。私が本章を読む前に持っていたケインズのイメージは「経済学一辺倒の堅物」という根拠の無い偏見の塊であった。しかしながら、本章の読み進めるに従い、私の予想とは180度異なるケインズがそこにはいたのである。

 ケインズはまさに天才・鬼才であったと記されている。多少の誇大表現があるとは思うが、それは私の想像を絶するものであった。幼少の頃、5歳にも満たない頃より利子の経済的意味を考え、6歳の時には脳の働きを考えていたのだ。そして彼は成長するに従い頭角を現し、大学ではマーシャルに認められ、またブルームズベリーの母体に所属するなど経済学や芸術といった分野でその才能を遺憾無く発揮し、その後大学を出てからは文官としての仕事をこなしつつ経済学の研究を行い、一方でビジネスとして劇場を作ったとか思えば、また一方で保険会社の社長になるなど幅広く活躍している。

 また、彼は数多くの書物も残している。ヴェルサイユ条約の批判として書かれた『平和の経済的帰結』や経済の循環を説いた『貨幣論』、貨幣論の失敗から生まれた『一般理論』などがあるが、それらは時代の要請に応えるかの如く絶妙なタイミングで執筆されたのだった。

 ここで私はふと思った、ケインズの考えや行動が福澤諭吉と酷似していると。特にケインズの大学時代の生活は福澤諭吉の適塾での生活、またより良い資本主義経済を創造しようと取り組んだケインズの執筆は文明開化を目指し執筆を続けた福澤諭吉とリンクしているように見て取れる。次の時代へと牽引した両者の原動力は理想を持っていたということであろう。物事をいくら見ぬけたとしてもそれが無ければ何の役にも立たないのではと私は考えされられた。世の役に立たない頭ばかりの堅物になってはならないと、堅物だと思っていたケインズに教えられてしまったようだ。

 最後に、それまでの常識に捉われず本質を突いたケインズの理論にも感服である、しかしそれ以上に、その根底にあるより良い社会を作りたいと思う彼の熱意に私は心を打たれてしまった。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:52 | エッセイ(課題)

エッセイ 『社会調査のウソ』

 エッセイ NO.2  『社会調査のウソ』  谷岡一郎 著

 「社会調査を鵜呑みにしてはならない。」これが本書から学んだことだ。恥ずかしながら私は本書を読むまで新聞・テレビなどで目にする社会調査をほとんど鵜呑みにしていた。もちろんマスコミから供給される全ての情報が正しいとは考えていなかったが、調査を実施した機関が政府などの場合、調査結果そのものを疑うことをしていなかった。なぜ疑わなかったかと言えば、第一には調査方法論を知らなかったことが挙げられる。しかしそれ以上に無意識的に権威のある機関を疑わなかった自分がいたことが原因であると思う。

 『世の中の社会調査の過半数が「ゴミ」である』と筆者は文中で述べているが、正直冒頭のこの一文に驚かされた。私たちが普段触れている社会調査の半数以上が「ゴミ」ということである。いくらなんでも大袈裟だと思い高をくくっていたが読み進めるうちに次第に危機感を覚えるようになっていった。と言うのも、歴代大統領の人気投票やサッカーくじの賛否など本書で紹介されている「ゴミ」を日常生活の新聞やテレビで見ていたら確実に鵜呑みにしていたと思うからである。私がどれだけ「ゴミ」に惑わされていたのかを実感した瞬間だった。著者が言うように、このような事態に陥らないためには、大量に垂れ流される情報の中から「ゴミ」を切り捨て、有用な情報を得るリサーチ・リテラシーが必要であると感じた。

 また、社会調査がいかに偏りだらけかを知ったことは私にとって一番の収穫であった。今まで疑うことをしてこなかった政府などの機関の調査にも当然のように偏りが存在し、疑ってかかるべきということだ。このことは今後新聞などで調査機関に関係なく社会調査の記事を疑って読む良いきっかけになったと思う。これからは文章と共にデータの本質も見極められるリサーチ・リテラシーを備えた人間になれるよう日々精進である。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:51 | エッセイ(課題)

エッセイ 『福翁自伝』

 エッセイ NO.1  『福翁自伝』  福澤諭吉 著

 「自分」をこれほどまでに明確に持っている人がいるなんて信じられない。これが福翁自伝を読んで正直に思った感想だった。幼少時代の家の風や漢学、蘭学、英学の修業中に学んだ書物ばかりでなく、実際に肌で感じた経験などから導き出される揺ぎ無い考え。周囲の声や古い時代の名残に左右されない確固たる自信を持って行動している様。特に幕末から維新という激動の時代においては常識が非常識へと変わりまたその逆もありと、ともすれば本質を見失いがちになるその時代でさえ、福澤諭吉は確固たる自分の考えを見出し貫き通してきた。

 しかしながら政治の話となると、福澤諭吉は西洋文明を取り入れ、独立心を養うことが必要であるという自身の考えを説きながらも生涯政治の表舞台に立つことはなかった。政治に直接関わるのではなく、著書翻訳や慶應義塾を創設することで国民を啓蒙し、間接的に国の発展に貢献する道を選んだ数少ない一人だった。その点において福澤諭吉の国への貢献度は計り知れないものと言えるだろう。

 また文中には、多くの経験から導き出された言葉が記されており、その一文一文は物事の本質を改めて考えるきっかけを与えてくれる。中でも最も印象に残っている言葉が「自分の身の行く末のみ考えて、あくせく勉強するということでは、決して真の勉強はできないだろうと思う」という一文だ。この一文のように、その文だけを取り出して考えると非常に根本的な事柄を問うている文が本文中には多々あり、これからの私自身が物事に対してどのように向き合っていけば良いかについて考えさせてくれる。

 最後になるが、今回福翁自伝を読むことで人間らしい福澤諭吉に出会えたことと、福澤諭吉の意思を継いだ大学で学んでいることの責任感をひしひしと感じられたことが良かった。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:50 | エッセイ(課題)

2005/5/1   『秘すれば花:東アジアの現代美術』 森美術館

 この展覧会は東洋の現代美術に焦点を当て、絵画はもちろん彫刻や写真、映像など多様なジャンルから作品を集めている。

 私は普段スタンダードな絵画や写真しか見に行かないので、久しぶりの現代アートの展覧会であった。前回も森美術館の現代アートの展覧会であった気がする。全体を通しての率直な感想は「現代アートはわからない」の一言である。中にはおもしろい視点で現実を切り取った写真や珍しい素材を使って創られた作品などがあり多少は楽しめたが、やはり理解し難い作品が多かった。私の勉強不足なのだろうか、何を意味しているのかが分からない作品や小学校の図工の延長にしか見えない作品も多々あった。

 歴史的な作品は時代という篩いにかけられ良い作品が残るが、現代アートは生まれて間もないためそれが素晴しい作品かどうかよくわからない。現代アートの価値はどの要素から見出されるのか、何を以って現代アートと呼べるのか、その辺があいまいであるように感じる。

 繰り返すが、私が現代アート展を見て思うこと、それは現代アートとは一体何なのかということである。ここ二年程私の中で決着のつかない大命題である。作品を見てわかるのが、各々のアーティストによって違う定義が存在すると言うことである。しかし、その根底には一般化できる要素が含まれているような気がしてならない。

 生きているうちに読み解きたい命題の一つである。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:49 | 美術館めぐり

映画 『ジョン・Q -最後の決断- 』

 映画 NO.2  『ジョン・Q -最後の決断- 』

 医療保険制度の問題を中心に据え社会の私欲に満ちた側面をまざまざと見せ付けられた作品だった。金のある者には優しく金のない者には冷酷な病院をはじめ、労働者の同意なしに経営者のコスト削減を目的にした加入保険の変更、昇進のために市民の支持を得ようとカメラの前に姿を現す警察の本部長、さらには数字と人気のために手段を選ばないテレビとそのキャスターなど彼らの仕事の動機の元をたどれば結局私利私欲の追及である。そんな社会では弱者は生きてゆけない、特に医療の世界では。

 本来医療とは人の命を助けることを目的とし、営利を追求する手段ではない。しかし、その世界に市場という概念を持ち込めば、たちまち競争が起こり、利益を出せない者は淘汰されてゆく。そうなれば病院は金を持たない利益をもたらさない病人を相手にしない。つまり、所得の差によって享受できる医療サービスが変わってくるのである。合理的といえば合理的だが、医療の場合失われるものが人命であるだけに簡単には切り捨てられない。国がこれをどのように捉えるかで制度に違いが生じてくる。

 ジョンは明らかにアメリカが選んだ制度の被害者であった。追い詰められた彼は蛮行に走ることになり、その中で息子との別れ際に「優しくあれ、それでいて金を儲けろ」言うシーンはアメリカの医療制度の問題点を如実に指摘している。金があれば何でもできる社会、裏を返せば金がなければ何もできない社会なのである。

 この作品は日本のような手厚い制度の存在しない国の実情に触れるよい機会になった。これにとどまらずこの問題について考えを深めて行きたいと思う。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:46 | 映画

映画 『コーラス』

映画 NO.1  『コーラス』

< ストーリー >
 フランスの田舎の学校、それぞれが問題を抱え親元を離れざるを得なくなった子供たちが暮らす学校。校長は「やられたらやり返す」をモットーに子供たちを厳しく統制していた。ある時そこへ一人の音楽の先生が赴任してくる。彼は従来の校長のやり方を否定し、「合唱」で子供たちをまとめようと試みる。すると、次第に子供たちの雰囲気が変わり始める。天使の様な歌声を持つ一人の問題児を除いては…

< 感想 >
 難解なストーリーでは理解できない私にとって、非常にわかり易い作品であった。夢を持つこと、努力をすることの大切さや力で抑え込む教育の限界、音楽の素晴しさなどを登場人物をうまく使うことで表現していた。特に、音楽で子供たちをまとめ上げていく過程では、先生に抜群の包容力を持たせることで観ている私も子供たちの中にいるような気分にさせられた。また、感動的な最後で作品を締めくくっているので、映画として後味良く楽しめた。

 しかしながら私は作品の内容よりも主役の少年の歌声に感動してしまった。身体中がゾクゾクするあの感じは『戦場のピアニスト』でシュピルマンがドイツ兵の前で奏でるピアノ以来の感覚であった。特に彼がソロで歌うシーンの歌声には、体の隅々から湧き上がる儚さとでも言うのだろうか、いつかはなくなってしまうそのボーイソプラノの声にただただ聴き入るだけであった。

 声だけで人を感動させる「天使の声」。一度は生で聴きいてみたい。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:45 | 映画

コラム 『日朝戦「第三国・観客なし」』

 コラム NO.3 『日朝戦「第三国・観客なし」』

4月30日 読売新聞 1・17・30面

< 要約 >
 国際サッカー連盟は29日、6月8日に平壌の金正日スタジアムで行われる予定だったワールドカップアジア最終予選第5節の北朝鮮‐日本戦について第三国で観客を入れずに開催することを決めた。3月30日に行われた第3節のイラン戦で、主審の判定を不服とした北朝鮮選手が主審に暴力をふるって退場したほか、観客が物をピッチに投げ込んだりイラン選手の乗るバスを取り囲んだりしたことに対する懲罰的な措置である。(読売新聞)

< 見解 >
 サッカーに詳しくない方にはわかり辛いであろうから、まずこのような処分がどの程度世界で起こっていることなのか説明しよう。アジアではあまり聞くことのないニュースだが、ヨーロッパでは度々このような処分が下る。ごく最近ではCLの準々決勝インテル‐ミラン戦で主審の判定を不服としたサポーターが発炎筒を投げ込み試合は打ち切り、インテルは3試合の無観客試合を命ぜられた。このように近年、多発しているサポーターの暴徒化を防ぐために各サッカー連盟は処分を厳しくしつつある。選手の安全を確保するためにも必要な処分なのだ。

 大概、処分の原因となるのは主審の判断を不服として起こる観客の暴徒化である。もちろん今回もそれが原因であった。北朝鮮選手やサポーターがとった行動は確かに行き過ぎであるし、それに対するサッカー連盟の処分は多少厳罰ではあるもののあって然るべきだ。やはり危害を加えることはあってはならない。

 しかしながら、私は一概に処分によってサポーターが主審に与える重圧までもを取り除くべきであるとも考えない。そこにサッカーのおもしろさの一つが含まれているからだ。サポーターが作り出すスタジアムの雰囲気は精神的に主審にのしかかり、ホーム寄りの判断を下すことが多々ある。実力差があっても結果がわからないサッカーのおもしろさの一因だろう。逆にそれが無ければホームでやろうがアウェーでやろうが関係ないのである。弱小クラブがサポーターの応援を背にビッククラブを倒せるのがサッカーなのだ。意見が分かれるところだが私はこの主審の偏りに賛成なのだ。

 したがって、私は無観客で行われることが寂しくてならない。処分に処分を重ねることで、サポーターの脅威が無くなり主審が完全中立になりうることを心配しているからだ。そうならないためにもサポーターには節度を守った行動をして欲しいと願う。主審を追い込む雰囲気を作り出すサポーターは大歓迎だが、暴徒化は許すことができない。

 熱くなり過ぎ、かなり偏りのある意見を述べてしまったことを反省する。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:44 | コラム

コラム 『JR福知山線脱線事故』

 コラム NO.2 『JR福知山線脱線事故』

 これは新聞記事からの抜粋ではないがリアルタイムでテレビを見ていたのでそれについて書こうと思う。

< 要約 >
 4月25日午前9時半ころ、JR福知山線尼崎-宝口間で脱線事故が起こった。死傷者は500人以上に上り、安全神話が足元から崩れ去る大惨事となった。

< 見解 >
 私がこのニュースをはじめて知ったのは25日午前10時の少し前。「JR福知山線で脱線事故、死者は2名、負傷者は数十名」というものであった。そして10時からはどの局もその事故を知らせる番組へと変わっていく。始めの数時間は上空からの映像を延々と繰り返していたが、時を追うごとに各局のスタジオには「電車の脱線事故に詳しい鉄道アナリストの…」と紹介される人たちが登場した。

 彼ら(もちろん彼らの全てではないが)はJRや県警、国土交通省などが詳しい調査を始めていない段階から、つまり根拠が明確でない状況で「おそらくこれは…が原因でしょう」と、かなり断定的な口調で事故原因を語っていた。私はこれを聞いてあまりに根拠が少なすぎたため信じなかったが、これらを見ている主婦層はかなりの割合でJR西日本に対して必要以上に悪い印象を持っただろうと想像する。

 ここでふと思うのは、なぜ学問として鉄道を研究している鉄道工学の研究者ではなく鉄道アナリストをスタジオに呼んだのかである。事故の背景がわかり始めた28日くらいから鉄道工学の研究者が頻繁にテレビに登場したことから予測すると、研究者たちは根拠ない状態で話したことが彼らの信頼を失う危険性をはらんでいることを知っているのだろう。つまり最初に登場する鉄道アナリストたちはテレビ受けする言葉を言い放って姿を消す厄介者なのである。もちろん知識は持ち合わせているのだろうし、的を射ている場合もある。しかし、人々の感情ですら左右できるメディアに登場している以上発言には最新の注意を払ってもらいたい。

 一方で視点を変えて考えてみると、テレビ側としては数字が欲しいのである。断定的な見解を示さない鉄道工学者よりも、視聴者受けのいい鉄道アナリストを選択せざるを得ないのかもしれない。またそのような現実があるからこそ鉄道アナリストたる人種が存在するのだろう。真実を伝えなければならないと同時に数字も取らなければならないという、並立しそうで並立しないメディアの抱える課題である。

 被害者の方の冥福を祈る。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:43 | コラム

コラム 『堀江支持優勢 -「フジvsライブドア」ネット調査-』

コラム NO.1 『堀江支持優勢 -「フジvsライブドア」ネット調査-』

4月6日 アドバタイムズ 7面

< 要約 >
 インターネット広告会社のサイバーエージェントとインタースコープ社との連携によるインターネットリサーチサービスを通じたライブドアとフジテレビの買収騒動について世論調査した。反目しあう両者に対し、ライブドア支持派45.5%とフジテレビ派15.7%の約3倍に上る一方「どちらとも言えない」とした人も4割近くを占め、一連の買収劇に対する市民の複雑な思いが浮き彫りとなった。(アドバタイムズ)

< 見解 >
 『社会調査のウソ』を読んだ直後に偶然手にした新聞に書かれていた記事だが、読んだ瞬間にゴミだとわかる世論調査である。

 まず調査主体について軽く説明しよう。2社協業のこのリサーチサービスはサイバーエージェント側の会員データベースの約75万人をモニター対象とし調査を行い、クライアントに業界最大規模のモニター数と低コスト、スピードを売りにサービスを提供している。

 素人目から見ると広告事業とメディア事業の会員データベースのみを利用している時点でサンプルに問題がありそうである。しかしながらそれ以上に、調査目的によってはとんでもない結果が出てくるのではと思うのは私だけだろうか。特に今回の調査では結果が始めから見えている。サイバーエージェントの顧客の中でも確実にインターネットユーザーであるモニターをサンプルとして調査をしているからである。この場合一般的な調査に比べてライブドア支持派が多数になるのは至極当然であろう。日常からインターネットの便益を教授しているのだから。

 私はこのようなインターネットを活用した新しい調査方法の調査者がより慎重に調査対象を選定する態度を持って欲しいと切に願う。そうなれば、インターネットユーザーであっても偏りが生じない対象を調査する際には、低コスト、スピード、モニター数の多さは非常に有用になってくる。今後ますます増加が予想されるこの種の調査の信頼を築くためにも、調査者が調査対象の適不適を見分ける能力が当面の課題となってくることは間違いないだろう。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:41 | コラム

本 『ブランド戦略シナリオ-コンテクスト・ブランディング-』

 本 NO.2  『ブランド戦略シナリオ-コンテクスト・ブランディング-』
 阿久津聡 石田茂 著

 私は期待されると結果を出せないタイプである。逆に期待されていないと反骨精神剥き出しで頑張り、予想以上の結果を出す。これは昔から一貫している私の性格だ。それ故、私は波のある性格と言えよう。その時、ふと本棚に目をやると懐かしい本を見つけた。

『ブランド戦略シナリオ-コンテクスト・ブランディング-』

 そして、おもしろいことを考えた。コンテクスト・ブランディングを応用して、私自身に「ものすごくできない子」というブランドイメージを創造し、常に伏兵的なポジションを確立しようと。そして再読を決意した。

 本書によると「企業が意図した形でメッセージを顧客に伝えるためには、その意味を規定するコンテクストに一貫性があることが重要だ」と書かれている。つまり、企業(私)は「小林真人はだめな子」というメッセージを正確に顧客(友人その他)にイメージさせるには一貫した論理性を持つコンテクスト(文脈)が必要なのだ。一貫したコンテクストとは、例えば「肌あれ」→「ビタミンC」→「アセロラ」→「アセロラドリンク」のような連想させる文脈のことだ。これを応用すると「だめな子」→「外にでない」→「パソコンばっかり」→「小林真人」とすることで企業のブランド・アイデンティティが顧客のブランド・イメージに接近する。さらにこのようなコンテクストを何重にも張り巡らすことで「小林真人=だめな子」というブランドが確立する。そうなれば私はより頑張り屋さんになれるはずである。

 雑文を書いてしまったが、相手に見えるように自分の正確なブランドを確立することは組織の中においてのポジションを見つける際に役に立つと思う。また、組織の運営の際にも組織のブランドを周囲に正確にイメージさせることは信頼のおける組織になるためには重要であると思われる。今後は「ブランド」に少し注意を払って行動して行きたい。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:36 | 本:その他

本 『ホリー・ガーデン』

 本 NO.1  『ホリー・ガーデン』  江国 香織 著

 これは恋愛小説である。何を隠そう、本書は人に薦められて読んだ本である。

 はっきり言ってしまうと、今まで恋愛小説を読んだことがなかった。むしろ恋愛小説を読むのは時間の無駄とさえ思っていた。しかしながら読んでみると、私自身に無かったモノの見方や様々な人生が世の中にはあり得るということを知ることができた。思っていた以上に収穫は大きかったようだ。

 この小説は、過去の失恋を引きずり心から人を愛せずいくらかの男とカラダの関係だけを続ける女、その事を知りつつもその女を慕う男、さらに妻のいる男と付き合う女の話である。社会的な常識にのっとって考えれば、この三人の行動は理解し難いものであろう。しかしながら、非常識的なことを当たり前のように描写される三人の生活を読み進めるうち、次第にこのような生活・人生もあってもいいのかもしれないと思ってしまった。私の心の中に、三百頁の中に綴られる三人それぞれの価値観を受け入れる隙間があったのだろう。常識という固定観念の中では有り得ないと考えている事でも、その確固たる価値観を見せつけられると受け入れざるを得ないことがあるようだ。

 価値観とは多様である、多様すぎる。小説の中ではあるが現実にも十分あり得ることである故に、多くの考え方を受け入れる姿勢の必要性を感じさせられてしまった。今後も時間を見つけて読んでいこうと思う。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:35 | 本:その他

歴史 『ハンニバル戦記(下)』

 歴史 NO.7  『ハンニバル戦記(下)』  塩野 七生 著

 第二次ポエニ戦役の終盤から始まる本巻では、カルタゴ本土への攻撃の指揮を執るスキピオとその結果帰還を命ぜられカルタゴに戻るハンニバルとの死闘、そして戦役後のローマの覇権体制、その延長にあるマケドニアとカルタゴの滅亡まで書かれている。

 前巻に引き続きスキピオの戦術眼は優れていたと同時に、外交力も素晴しいものを持っていた。その力は戦役中はもちろんその後も発揮され、地中海諸国を次々と同盟国としていったのだ。さらに持ち前のローマ人の開放性と属国としてではなく同盟国として扱う「穏健な帝国主義」も功を奏し、半世紀あまりでローマは地中海を制覇するほど巨大化していた。

 しかし地中海制覇も束の間、マケドニアやカルタゴが反旗を翻し始めたのだ。彼らはローマ軍によって滅亡され、地中海は平穏を取り戻すものの、ここにきて「穏健な帝国主義」に陰りが見え始めてきたのは紛れもない事実であった。

 ハンニバル戦記を終盤まで読んだ時点で、私は「穏健な帝国主義」こそがローマをここまで大きくしたのだと考えていた。しかしながらマケドニア、カルタゴと立て続けに反旗を翻され強硬な姿勢をとり始めたローマを見ていると、今後の発展はこのローマ人の精神によるものではないのだろうと予想できる。次にローマ人を支配する考え方は何なのか、そして従来の考え方の立場はどうなっていくのかに注目したい。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:28 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『ハンニバル戦記(中)』

 歴史 NO.6  『ハンニバル戦記(中)』  塩野 七生 著

 本巻では第二次ポエニ戦役、ハンニバルがローマ連合解体という戦略を背景に戦闘でローマを圧倒する前期、ローマが建て直しを図る中期、そしてローマがハンニバルを追い詰める後期と三つの章に分けて描いている。

 ここでも圧倒的な戦闘での強さを誇るハンニバルに屈しないローマの強さが見て取れる。国論の分裂を引き起こさない政体や征服による統治ではない連合の思った以上に強い繋がりがこの強さの所以であろう。他民族には見られない独特な体制を持つローマならではの強さであった。

 またこの巻では二人の天才武将の登場がある。ハンニバルとスキピオである。ハンニバルはアレキサンダーの戦術に学び、一方スキピオはハンニバルとの戦いに直に触れることでその戦術を学んでいる。両者共に情報収集に力を置き、それを分析し、相手の行動を読み、敵陣の裏をかいている。書中に「天才とは、誰もが見ていながらも重要性に気付かなかった旧事実に気づく人のことである。」とあるが、確かにこの両人は的確に情報を分析している。

 この二人とローマから学ぶことは多い。次巻での新生スキピオの活躍に期待したい。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:27 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『ハンニバル戦記(上)』

 歴史 NO.5  『ハンニバル戦記(上)』  塩野 七生 著

 本巻から三巻に渡りカルタゴとのポエニ戦役の様子を、その中でも本巻では第一次ポエニ戦役とその後の休戦期間である二十三年間を描いている。紀元前二百六十五年、気付けばローマは南イタリアを統一していた。しかしながらローマ人たちはそれ以上の拡張を目下望んでいなかった。メッシーナからの援軍要請を受けたのはそんな時であった。ローマ人たちはそれを受諾した。ここで直面するのがシチリア西部を支配していたカルタゴとの衝突であった。これがポエニ戦役のすべての始まりである。

 ローマは第一次ポエニ戦役で勝利を収める。私は、その勝利に貢献する戦術眼にも驚かされたが、それ以上に休戦中に見せるローマ人の特性に目を見張った。「ローマは一日にして成らず」でも見てきたことだが、ローマ人の自分で何でもしようとしない姿勢がここまでローマを大きくさせているのではないかと思ってしまった。エトルリア人には土木事業を任せ、ギリシア人には通商を任せる。ローマ人自らがナンバー・ワンになるのではなく、スペシャリストの能力を理解しその仕事は彼らに任せる。この姿勢がローマにおいて上手く機能しているように感じた。このようにこの時代、彼らの開放的な性質がローマの拡大に比例しているように見えるため、今後とも注目していきたいと思う。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:26 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『ローマは一日にして成らず(下)』

 歴史 NO.4  『ローマは一日にして成らず(下)』  塩野 七生 著

 前巻に続く本巻ではローマの共和政の流れが書かれている。貴族派と民衆派に二分されたローマを襲うケルト族との戦いに始まり、復興を目指しゆっくりではあるが着実に力を付けてゆく姿、さらにローマ連合を作り南イタリアを統一するまでの苦難の道を描いている。

 読み終えて感じることは著者と同じものであった。本書のテーマでもあるのだが、「なぜローマだけが、大を成すことができたのか」であった。あれだけ力を持っていたギリシアでさえ衰退してしまったのに、ローマだけが興隆していく様は不思議以外の何者でもなかった。

 読み進めるとそれとなくその原因ではないかと思われるところもある。前巻でも挙げたものもあるが、ローマ人の宗教に対する寛容性や敗者をローマに内包してしまうシステム、独特の三権分立の政治システムもその一つとして考えられる。いずれにしても確信を持ってこれだと言えるものではない。

 しかしながら私はこの先を読むことで抽出できる何かがあると考えている。今眼前にあるものはローマ人が興隆した原因の一部であることは間違いない。これらから、さらには読み進めて得る新たな事象から、一般化できるローマ人の興隆の秘密を探っていきたいと思う。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:25 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『ローマは一日にして成らず(上)』

 歴史 NO.3  『ローマは一日にして成らず(上)』  塩野 七生 著

 ローマ人の物語、二年半前の私なら確実に読んでいない本である。カタカナで並べられた活字を見ただけで嫌気がさす典型的な世界史嫌いであった。ゆえに世界史の知識は全くないに等しい。しかしながら最近、私は西洋画に興味を持ち始め、その絵が書かれた時代の様子や題材のルーツを知りたくなった。そのため、今回「ローマ人の物語」を読んでみようと思ったのである。

 さて、読んでみての最初の感想は非常にわかり易いといったところである。予備知識が無くとも理解し読み進めることが出来るのでおもしろい。

 本書ではローマがどのようにして誕生し、そして初期の七人の王政、さらにその王政後共和政となっていくローマの様子を周辺の動向とともに描いている。また、本書は著者が冒頭で述べているように「なぜローマ人だけが、あれだけ大を成すことができたのか」を見つけることを目的としており、著者と共にそれを考えるのも一つの楽しみである。この巻では宗教についてのローマ人とその他の民族との考え方の違いがその一つの例として私に題材を与えてくれたようだ。一神教と多神教の違いから生じる他者に対する寛容さの違いの話はとても興味深い。

 早く次を読んで、ローマをもっと知りたい。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:23 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『最後の将軍 -徳川慶喜- 』

 歴史 NO.2  『最後の将軍 -徳川慶喜- 』  司馬 遼太郎 著

 慶喜、彼は幼少の頃より父斉昭の教育方針に従い厳しい環境の下で育てられ、それと同時に多大なる期待の背に受け成長していった。そのため、時に世間から過大な評価を受けることもしばしばあり、また慶喜の思想とは真逆の慶喜が噂を通し世の中に作り上げられることもあった。彼の人生の大半はこのような人の噂によって振り回されている。彼の周りにまとわりつく環境は不運であったとしか言いようが無い。

 しかしながら、彼自身はその不運に立ち向かえるほどの器量を持つ英才であった。時代の流れを冷静に見つめ、どの方角に事が動いてゆくかを分析し行動をとる様には感服である。彼のこの分析力の根底には歴史というものが大きな意味を持っているように感じた。水戸の出身であるが故、歴史に対する気の掛けようは凄まじかったのだろう。特に大政奉還前後からは、常に歴史に名を残すのに恥じない行動をとることを心がけている。この姿勢は彼が歴史に対してどれだけ重きを置いているかを窺えるものである。

 私は慶喜からも歴史観を持つことの重要性を再認識させられた。今現在の状況が歴史上のどの状態に近いのか、またそれはどの方角に進んで行くのかを予測するために歴史を知ることは大切であると感じた。

 余談ではあるが、福澤諭吉と同じ時代に生き、将軍と一般人という正反対の位置にいる二人を比べることは非常におもしろい。それとともに、新撰組、坂本竜馬など異なる人物の視点から同時代を眺めることで新たな発見が出来るような気がしてならない。他の人物の本を読むのが今から楽しみである。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:22 | 本:歴史・ノンフィクション

歴史 『リンカン -奴隷解放の先駆者- 』

 歴史 NO.1  『リンカン -奴隷解放の先駆者- 』  石井 満 著

 彼はヨーロッパからアメリカに移住してきた家系に生まれ、小さい頃から貧しい生活を送ってきた。もちろん学校などにも通うことはできなかった。しかし、彼は貧しいながらも試行錯誤の結果手に入れた書物や、社会大学とでも言うべきだろうか、身のまわりの生活から様々なことを独学で学び取っていった。そして彼は持ち前の正直さと雄弁を武器に多くの人々を惹き付け、大統領になるまでに至った。そう、彼の名はアブラハム・リンカーンである。

 リンカーンと言えば奴隷解放や「人民の、人民による、人民のための…」のフレーズを知っている程度で、アメリカの大統領になるくらいだからきっと良い家の生まれであまり苦労していない人物なのだろうと思っていた。(そろそろこのような安易な考えは止めようと思う。)ところが冒頭にも書いたように全く逆であった。

 本書を読んで彼の人生から学ぶことは多い。正直であることの重要さ、書物の読み方、失敗を成功に生かそうとする姿勢、民主主義における一人の正義の強さなどひとつひとつ挙げればきりがない。中でも「正直」という言葉はリンカーンを語る上で外すことが出来ない。正直、自らが考え抜いて出した答えに嘘や不正を許さないその姿勢。言い換えれば、何事にも妥協を許さないその姿勢にひどく感動した。その姿勢、見習いたいと思う。

 最後になるが、彼の生涯が暗殺で幕を閉じたことが残念で仕方が無い。
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# by jokerish2 | 2005-05-12 10:22 | 本:歴史・ノンフィクション