文章力更生記 -偏差値50への道-
2006-12-13T00:13:26+09:00
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文章のダメだしブログ
Excite Blog
エッセイ 『有閑階級の理論 -制度の進化に関する経済学的研究- 』
http://thinkoba.exblog.jp/4496233/
2006-09-05T16:40:41+09:00
2006-09-05T16:40:41+09:00
2006-09-05T16:40:41+09:00
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エッセイ(課題)
ソースタイン・ブンデ・ヴェブレン 著
<印象に残った言葉>
本書『有閑階級の理論』を読み、その中から印象に残った言葉を一つだけ選び出すという作業がかなりの難事であることは本書を読んだ人にとって共通の認識ではないだろうか。彼の洞察はファッションやギャンブル、スポーツなど多岐にわたり、その個別具体的な洞察を挙げれば切りがない。したがってここでは最初に私の目に留まり、彼の論の根底に流れる思想を垣間見ることのできる言葉を紹介する。
「このような貧しい階級の場合でさえ、肉体的必要という動機の優越性は、しばしば推定されてきたほど決定的なものではない。もっぱら富の蓄積に関心を抱いている社会構成員や階級に関するかぎり、生存や肉体的な快適さという誘因はまったく重要な役割を果たしていない。所有権は、生存に必要な最低限といったものとは関係のない根拠にもとづいて開始され、人間の制度として成長したのである。支配的な誘因は富につきまとう妬みを起こさせるような栄誉であり、一時的であることと例外とを除けば、後の発展のどの段階においても、それ以外の動機がその優越性を奪うことはなかった。」
この言葉は第二章「金銭的な競争心」の一節である。私はこの言葉に出会った瞬間、少なからぬ疑いの目を持って読まざるを得なかった。人間が行う財の消費や取得、富の蓄積への支配的な誘因は、著者の言うところの、生存に必要な最低限を満たすことではなく、他人に妬みを起こさせるような栄誉を得ることであるという。しかも、貧しい階級の場合でさえこの支配的な誘因を当てはめることができるという。当初疑問を感じていたこの言葉も、多岐にわたる具体的な洞察を読み進めるにつれて次第に真実味を帯びてくる。そこがおもしろい。つまり、この言葉は多くの事象を抽象化したモデルであり、後の章で実証されていく仮説なのだ。それ故、冒頭に登場するこの言葉は私に強烈な印象を与えたのだろう。
<感想>
ソースタイン・ヴェブレンの痛烈な洞察によって嘲笑われた有閑階級の人々は彼の指摘に対して顔をしかめるしかなかっただろう。『入門経済思想史-世俗の思想家たち-』(ロバート・L・ハイルブローナー著)の一節にもあるように「同時代の人々にはごく自然に見えた人間の行いが、彼にとっては人類学者の目に映る未開社会の儀式のような、魅力的かつ異国風で奇妙な行為に映った」のだから、常識を行動規範にしている人々にとって彼の時に皮肉を交えた指摘がどれほど不愉快で遣りづらかったのかは想像に難くない。
さて、私はエッセイの最後に本書『有閑階級の理論』を読もうと昨年から決めていた。上記のように『入門経済思想史-世俗の思想家たち-』を読んだ際、彼を除く経済学者のほとんどは世の中の現状を肯定的であれ否定的であれ確固たる思想を持って眺めていたのに対して、彼は「現状がそうなっているのはなぜか」を突き詰めて考えることで客観性を保った考察を行っていたように感じたのである。価値判断の排除に徹底した研究は私にとって新奇であり、そういった目で世の中を眺めてきた偉大な経済学者の視点をその著書を通じて体感してみたかったのだ。
まず、合理的経済人――合理的行動仮説に基づき、常に経済的な利益に従って行動する概念上のモデル――は私たちがよく耳にする言葉であるが、彼にとってはこの概念自体が人間の行動の本質から大きな隔たりを持っているものとして認識される。人間の経済活動は経済的な利益がもたらす効用を使った基準のみで説明できるほど単純ではなく、社会的、文化的、歴史的、そして制度的な条件によって漸く規定され、説明できるものとしている。正直なところ、私は彼のこの見解に対して目を疑った。(私が経済学の基礎の部分しか学んでいないことの暴露になるが)経済学を学び始めてからこの方、常に合理的経済人は図表の上を我が物顔で闊歩し、それ相応の説得力を持って私の前に立ちはだかっていたのであるから、彼のこの視点を多分に含んでいる冒頭で紹介した<印象に残った言葉>が私に強烈な印象を与えたことは理解できなくもない。また、彼の見解に疑問を抱くと同時に、安堵感を持ったのも事実である。社会や歴史といった条件を付帯させることによって、それまで経済人の行動規範だけでは腑に落ちなかった人間の行動を説明することが可能になるからだ。つまり、社会や文化、歴史などの条件が常識や習慣を創り出し、それらが人間の経済活動の行動規範を次々と規定していくのだ。したがって、彼が世の中を眺める時には従来の合理的経済人ではなく、新たに規定された行動規範に基づくモデルを使って説明を試みるのである。そして、そのモデルを抽出する際に必要となってくるのが、彼の天賦の才である客観的な視点と膨大な量の社会や文化など多岐にわたる歴史的な事実なのであろう。
彼の指摘する顕示的消費や顕示的閑暇といった人間の行動は、したがって、1900年頃の常識や習慣――彼の言うところの制度――でしかない。それ故、現在では素直に受け入れることのできない見解もないわけではないが、それでもやはり、歴史的な事実に基づいて考察され規定された彼のモデルは<印象に残った言葉>も含め今も尚説得力を持ち続けている。「経済学者はヴェブレンを社会学者だと言い、社会学者は彼を経済学者と呼んだ」という話しがあるように、彼の洞察は経済学以外にもありとあらゆる知識が含まれている。エッセイを書くうちに明らかになったことだが、偉大な経済学者たちは様々な分野に精通している。中でもヴェブレンは哲学、文化人類学、民俗学、社会学、生物学、骨相学など群を抜いていたようだ。偉大なる思想は様々な知識を総動員して漸く創り上げられる知の結晶なのである。読み手である私はその偉大なる思想を如何に使いこなしていくか、それこそがエッセイを書き終えたこれから要求される大きな試練であろう。]]>
歴史 『危機と克服(上)』
http://thinkoba.exblog.jp/4302413/
2006-08-09T22:38:00+09:00
2006-12-06T11:53:17+09:00
2006-08-09T22:38:13+09:00
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本:歴史・ノンフィクション
失政を重ねローマ帝国に混乱をもたらした最後のユリウス・クラウディウス朝の皇帝ネロがその人生に終止符を打った翌年、ローマ帝国にはガルバ、オトー、ヴィテリウスという三人の皇帝が現れては消えていった。彼ら三皇帝は統治力のなさ故、短期間で破滅し、ローマ帝国の内戦を引き起こしてしまう。
さて、この三皇帝の統治を顧みると、著者も言うようにやるべきことをせずにやるべきでないことばかりを行っている。そう考えると、カリグラやネロの方がまだましだったのではないかと思わざるを得ない。どちらにせよ、この三皇帝に明らかに欠如していたのは人心掌握の策ではないかと思う。元老院やローマ市民、軍の心を掴まなければ政治などできたものではない。ローマ帝国での皇帝は承認されて初めて成立するのであるから当然と言えば当然であるが、当の三皇帝はこの感覚が欠如していたようである。これでは皇帝が勤まるはずもない。この絶望を救うのはいったい誰になるのか、次巻が楽しみである。
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歴史 『危機と克服(中)』
http://thinkoba.exblog.jp/4302421/
2006-08-09T22:38:00+09:00
2006-12-13T00:13:26+09:00
2006-08-09T22:38:41+09:00
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本:歴史・ノンフィクション
ガルバ、オトー、ヴィテリウスの三皇帝が倒れた後、次なるローマ皇帝に抜擢されたのはヴェスパシアヌスであった。三皇帝による内乱と同時期に起こっていた西方のゲルマン系ガリア人の反乱と東方のユダヤ人の反乱を解決することが彼に課せられた最初の問題であったが、息子のティトゥスや協力者ムキアヌスに助けられ解決してゆく。時代が必要としていた健全な常識を持ち合わせた皇帝ヴェスパシアヌスは混乱のローマ帝国を救う救世主となった。
さて、ヴェスパシアヌスの治世を概観して思うのだが、相変わらず善政を行う皇帝の下には優秀な協力者がいるということだ。これは皇帝の人選眼の善さに尽きると思う。よき右腕を見つける才能も成功への1つの要素と言えるのだろう。確かに日常生活に当てはめてみても、うまくいっている組織のトップの下には優秀なブレーンがいる。つまるところ、人選眼という能力は皇帝であるために欠かせない能力の中でも上位にくるものなのだろう。
印象に残った一節。
「民主制を守るために全員平等を貫くしかなかったギリシアの都市国家アテネが、意外にも、他のポリス出身者や奴隷に対して閉鎖社会であったという史実。そして、共和制時代には元老院主導という形での寡頭制、帝政時代に入ると君主制に変わるローマのほうが、格段に開放社会であったという史実は、現代でもなお一考に価すると確信する。」
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歴史 『悪名高き皇帝たち(四)』
http://thinkoba.exblog.jp/4302389/
2006-08-09T22:35:00+09:00
2006-11-18T14:29:32+09:00
2006-08-09T22:35:07+09:00
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本:歴史・ノンフィクション
4代目皇帝クラウディウスは妻であるアグリッピーナの野望の犠牲となり死亡した。そして、その後を継いだのが養子であった当時16歳のネロであった。誰からも歓迎された5代目皇帝ネロであったが失政に失政を重ね、終には「国家の敵」と断罪され、彼の人生とともにカエサルやアウグストゥスが築き上げた「ユリウス・クラウディウス朝」にも終止符を打つことになった。
さて、ネロと言えば悪名高き皇帝たちの中で最も耳にする名前のように思う。しかし、彼の治世を概観するかぎりティベリウスやクラウディウスの治世の方が印象的であるし、重要な役割を担っていたようである。しかしながら、よく名を聞くのはネロである。何故か。それは彼がキリスト教徒の弾圧を行ったからではなかろうか。いや、そうであろう。現代にまでキリスト教が続いていなかったならば、彼の行った弾圧に対して歴史は見向きもしなかったといっても過言ではないかもしれない。歴史というものはバイアスなしに見ることができないという性質がつきまとう。それを考慮してネロを見ると、なんとも可哀相である。
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歴史 『悪名高き皇帝たち(三)』
http://thinkoba.exblog.jp/4302385/
2006-08-09T22:34:00+09:00
2006-10-17T10:46:43+09:00
2006-08-09T22:34:28+09:00
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本:歴史・ノンフィクション
若き皇帝カリグラの後を継いだ四代目皇帝は50歳まで歴史家として生きてきたクラウディウスであった。彼にはカリグラの愚政によって失われた人々の信頼を回復し、内政、外政ともに山積する問題を解決することが課せられた。彼はゆっくりではあるが、一歩一歩着実に問題を解決してゆく。悪妻と言う慢性的な問題を抱えつつも。
さて、彼の治世を概観すると、統治をする人間にとって歴史を知っていることの重要性を見せ付けられる。特に長髪のガリア人たちに元老院の議席を与えるか否かを議論した際の彼の論は、ローマがここまで繁栄してきた本質を押さえたものであり、歴史を知らない者には到底辿りつかない結論に導く。もちろん歴史偏重では意味がなく、現状を踏まえた上での歴史の応用が重要になってくるのは言うまでもない。その力も彼には備わっていたようだ。彼の統治は、歴史からある一定の法則や本質を見抜いておくことが今を生きる私たちにとって重要な意味を持つということを再確認させてくれるものであることは間違いないだろう。
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歴史 『悪名高き皇帝たち(二)』
http://thinkoba.exblog.jp/4302376/
2006-08-09T22:33:00+09:00
2006-10-17T10:09:32+09:00
2006-08-09T22:33:55+09:00
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本:歴史・ノンフィクション
本巻は二代目皇帝ティベリウスの後を継いだカリグラの治世を描いている。彼は何にも抗されることなく、万人に歓迎されて即位した初めての皇帝だった。その人気を失うことを恐れたためか、彼の行う政治は言わば人気取りの政治であり、ティベリウスが築き上げた財源はいとも容易く消費された。人気取りには才を発揮したカリグラも愚政が仇となり無残な最期を迎えることになる。
「普遍とは、それを押し付けるよりも特殊を許容してこそ実現できるものである。」
人気取りに従事したカリグラの治世で印象に残ったことは、正直少ない。しかし、ユダヤの統治に関して上記の一節は参考になったので紹介する。この一節は、カリグラがユダヤ統治を上手く行ったために生まれた教訓ではなく、失敗したがために生まれた教訓である。これまでに登場したローマの指導者たちは皆、このバランス感覚が優れていたように感じる。しかし、カリグラは違った。そこが彼に愚政を行わせた原因であったのではないかと思う。ローマ人たちは今回の経験を活かして、統治能力を持ち合わせた指導者を見つけることができるのかが、この先ローマの存続の鍵を握っていくのだろう。
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歴史 『悪名高き皇帝たち(一)』
http://thinkoba.exblog.jp/4302360/
2006-08-09T22:31:00+09:00
2006-10-17T10:06:47+09:00
2006-08-09T22:30:45+09:00
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本:歴史・ノンフィクション
本巻は帝政を築き上げたアウグストゥスに続くローマ皇帝ティベリウスの治世について描かれている。彼は人々から嫌われ、カプリでの政務に至っては非難を浴びる。それでも元老院からは神格化を提案されるなど、統治者としての資質は事欠かなかったようである。また、彼の業績を讃え、彼に捧げる神殿を建てたいとの提案に対して、彼が断った際の言葉は彼の政治や生き方に対するスタンスをよく表しているので紹介したい。
「わたし自身は、死すべき運命にあたる人間の1人にすぎない。そのわたしが成す仕事もまた、人間にできる仕事である。あなた方がわたしに与えた高い地位に恥じないように努めるだけでも、すでに大変な激務になる。
この私を後世はどのように裁くであろうか。私の成したことが、我が先祖の名に恥じなかったか、あなた方元老院議員の立場を守るに役立ったか、帝国の平和の維持に貢献できたか、そして国益のためならば不評にさえも負けないで成したことも、評価してくれるであろうか。
もしも評価されるのであれば、それこそがわたしにとっての神殿である。それこそが、最も美しく永遠に人々の心に残る彫像である。他のことは、それが大理石に彫られたものであっても、もしも後世の人々の評価が悪ければ、墓所を建てるよりも意味のない記念物にすぎなくなる。わたしの望みは、神々がこのわたしに生命のある限り、精神の平静とともに、人間の法を理解する能力を与えつづけてくれることのみである。」
人事の才にも秀でていたといわれるティベリウスだけあって、さまざまな対象に配慮し、自らの立ち位置を考慮した素晴しい言葉であると思う。
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歴史 『パクス・ロマーナ(下)』
http://thinkoba.exblog.jp/4302347/
2006-08-09T22:30:00+09:00
2006-09-05T18:27:36+09:00
2006-08-09T22:29:40+09:00
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本:歴史・ノンフィクション
パクス・ロマーナが成立し、アウグストゥスの帝政がほぼ完成した今、残された課題は後継者を誰にするかの選択であった。彼が後継者として選んだ息子たちはいずれも若くして命を落としてしまう。さらに生き残ったティベリウスも引退している始末。カエサルとアウグストゥスが基礎を構築した帝政ローマは果たしてローマに根付くのだろうか。
結局アウグストゥスは70代後半まで生きた。晩年になってティベリウスが復帰するまではアグリッパとマエケナスの死後はほとんど一人で政治という日々のプレッシャーの中で生き抜いた。小林秀雄によれば「政治とはある職業でもなくある技術でもなく、高度な緊張を要する生活」であるという。この状態を生き抜くのに必要な資質は認識力であり、持続力であり、適度な楽観性であり、バランス感覚。確かに彼の治世はこの四つの資質を必要とした治世であったように思う。少し楽観性が足りなかった感は否めないが、それでもバランスの取れた力を持っていたようだ。まだ17歳だったオクタヴィアヌスを見てこの資質を見抜いたカエサルはただならぬ人物であるといわざるを得ない。この力こそがアウグストゥスがカエサルに劣る最大の欠点であろう。
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歴史 『パクス・ロマーナ(中)』
http://thinkoba.exblog.jp/4302345/
2006-08-09T22:29:00+09:00
2006-09-05T17:55:37+09:00
2006-08-09T22:29:10+09:00
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本:歴史・ノンフィクション
上巻に引き続き、アウグストゥスの政治は巧妙を極めた。決して「帝政」という言葉を口にすることなく、以後のローマに帝政を既成事実に持っていくそのやり方は実に上手い。市民や元老院の支持を背景に同胞アグリッパ、マエケナスとともにパクス・ロマーナの基礎は形作られてゆく。
著者も言うように、カエサルに比べるとアウグストゥスの治世には迫力が欠ける。それはローマが平和であるからこそであり、仕方のない部分ではあるがやはり物足りなさを感じざるを得ない。しかしながら、派手な戦がない分、彼の治世には政治が目立つのも事実である。中でも私が気になったのが軍事の再編成をする際の彼の洞察力であり、職業に勤務年限制度がなかった時代に彼はそれを定めた点である。給料と退職金とのバランスを考えた勤務年限は、現代の専門的な職業に従事する人々に示唆する部分が多分に含まれている。
また、カエサル同様、彼も一つのことを一つの目的ではやらない人物であり、マキャベリの「如何なる事業も、それに参加する全員が、内容はそれぞれちがったとしても、いずれも自分にとって利益になると納得しないかぎり成功できないし、その成功を永続させることもできない」という言葉も、カエサルとアウグストゥスの政治を上手く形容しているように思う。
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歴史 『パクス・ロマーナ(上)』
http://thinkoba.exblog.jp/4302341/
2006-08-09T22:28:00+09:00
2006-08-17T17:47:17+09:00
2006-08-09T22:28:38+09:00
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本:歴史・ノンフィクション
アントニウスを追いやりローマに平和が訪れた。オクタヴィアヌスはカエサルの意思を受け継ぎ帝政を目指すかのように見えた矢先、彼は共和制への復帰を宣言した。それに狂喜した元老院はオクタヴィアヌスにアウグストゥスの尊称を贈るなど彼に多くの名誉を与えた。しかし、これはアウグストゥスが帝政を成し遂げるための布石であったのだ。王政を連想させる上辺の職名は返上し、事実上帝政を成し遂げるために必要な力を徐々に手中に収めていく様は巧妙と言わざるを得ない。さすが、天才カエサルが見込んだだけのことはある。
さて、ここで感じることは、使える時間が多いというのは政治を行うにあたって大きな武器になると言うことである。内政に着手し始めた年齢が50代であったカエサルと異なりアウグストゥスは40代であり、時間をかけて帝政へと導くことができた。それも帝政を目論んでいると気付かれないように。カエサルの不幸から得られる教訓として、急ぐあまりに強行になりすぎることは自らの首を絞めることになりうると言うことだろう。
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歴史 『ユリウス・カエサル ルビコン以後(下)』
http://thinkoba.exblog.jp/4302325/
2006-08-09T22:27:00+09:00
2006-08-17T14:49:29+09:00
2006-08-09T22:27:26+09:00
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本:歴史・ノンフィクション
「人間ならば誰にでも、すべてが見えるわけではない。多くの人は、自分が見たいと欲する現実しか見ていない。」ユリウス・カエサルはそんな十四人に殺された。
彼の暗殺後、彼の遺言書に記された後継者は若き少年オクタヴィアヌスだった。カエサルが指名した人物だけあってオクタヴィアヌスの政治力は優れ、相棒アグリッパとの二人三脚でカエサルの残した壮大な構想は一つ一つ着実に受け継がれてゆく。
本巻で注目すべきはやはりオクタヴィアヌスの巧妙な政治であろう。特にアントニウスに対する彼の洞察力見物であった。軍事力を背景に力を持っていたアントニウスに対し三頭政治を画策し相対的な力関係を弱めていくのはもちろん、アントニウスの行動一つ一つを反ローマな行為であると世論をうまく誘導し、結果的に彼の独り舞台へと持っていく様は見事であった。追いやられたアントニウスに政治の素質がなかったのも事実ではあるが、アントニウスの行動を所与の条件として状況を改善していくオクタヴィアヌスの能力は卓越していた。カエサルの意思を継いだオクタヴィアヌスは戦いの終わったローマを今後どう導いていくのだろうか気になるところである。
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歴史 『ユリウス・カエサル ルビコン以後(中)』
http://thinkoba.exblog.jp/4302318/
2006-08-09T22:26:00+09:00
2006-08-10T00:00:31+09:00
2006-08-09T22:26:55+09:00
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本:歴史・ノンフィクション
ポンペイウスの死後、ポンペイウス残党の蜂起を鎮圧し、漸く内政に着手できる状態になった。政治改革をはじめ、金融改革、行政改革、属州統治改革、司法改革はもちろん福祉や失業、殖民、治安、交通と漏れなく改革を実行し新体制樹立を目指した。また、自身も終身独裁官となり名実ともに帝政へと近づいてゆく。その最中、不幸は突然襲いかかってきた。ユリウス・カエサルは暗殺されたのである。彼の寛容さと群を抜いた才能が招いた結果であった。前巻でも書いたように彼の考え方は、あのキケロですら理解できなかったようである。王政アレルギーのローマはカエサルが王位を狙っていると誤解し彼を暗殺してしまった。やはり天才は理解されないものらしい。偉大なる指導者を失ったローマは一体どこへ向かうのだろうか。]]>
歴史 『ユリウス・カエサル ルビコン以後(上)』
http://thinkoba.exblog.jp/4302309/
2006-08-09T22:25:00+09:00
2006-08-09T22:59:55+09:00
2006-08-09T22:26:25+09:00
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本:歴史・ノンフィクション
「わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々も、そうあって当然と思っている。」
ルビコンを越えたユリウス・カエサルは国賊扱いになり、スッラの再現を恐れた元老院議員たちはローマを離れギリシアへ向かう。そのギリシアでカエサルはポンペイウス軍と雌雄を決することになる。圧倒的不利な状況のカエサルだが持ち前の戦略眼で徐々にポンペイウス軍を追い詰めてゆく。その過程が従来のローマを彷彿とさせる。彼は降伏した人々に対して勝者の権利を行使せず、冒頭にあげた思想に基づき、彼らを解放するのである。後の政治をやりやすくするために取られた配慮ではあるにせよ、カエサルは未だに多くの問題を抱える人権にいち早く着目した人物ではなかろうか。物事の心理を巧みに突いた行動であるように思う。しかしながら、群を抜いたこの能力こそが後の運命を決めてしまう気がしてならない。やはり天才とは理解されないものなのだろう。]]>
歴史 『ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)』
http://thinkoba.exblog.jp/4286556/
2006-08-06T22:38:00+09:00
2006-08-09T22:31:45+09:00
2006-08-06T22:37:49+09:00
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本:歴史・ノンフィクション
本巻ではユリウス・カエサルがついにガリア平定を成し遂げる。しかし、数々の偉業を成し遂げてきた彼を待ち受けていたのは凱旋式ではなく、反カエサルによって謀られた元老院最終勧告であった。国賊になってまで「やる」か、それとも「やられる」かの選択を迫られ、彼は「やる」を選ぶ。その際注目に値するのが、彼が率いる兵たちが彼に従った一事である。彼らはルビコンを越える前に解散していれば国賊にならなくてもすむのにも関わらず、カエサルに従うことを選ぶのだ。ガリア戦役中にも要所要所で力を発揮してきたカエサルの言葉が兵たちを従わせたようである。彼の言葉には人を惹き込む力があるようだ。彼に従っていない私でさえ、彼の言葉を読んで、彼になら従っても良いと思ったくらいである。読み進めるにしたがって、次々に明らかになってくるユリウス・カエサルの能力の数々に脱帽するしかない。一体彼はどれだけの能力を秘めているのだろうか。]]>
歴史 『ユリウス・カエサル ルビコン以前(中)』
http://thinkoba.exblog.jp/4286551/
2006-08-06T22:37:00+09:00
2006-08-09T22:01:14+09:00
2006-08-06T22:37:16+09:00
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本:歴史・ノンフィクション
前巻に引き続き本巻ではユリウス・カエサルについて、特にガリア戦役1年目から5年目にかけて記述されている。この頃彼は40歳を迎えており、多くの偉人たちと比較すると遅咲きと言えるだろう。彼はこの5年間に渡る戦役の中で次々とガリアを平定してゆくのだが、そのやり方が実に巧妙である。著者も度々指摘しているように、彼は1つのことを1つの目的では行わないのである。行軍の進路1つをとっても、この行軍によって影響を受ける全ての主体がどういった行動をとるのかを予測し、次なる手を打つ際に都合が良くなるように先読みをしている。しかも、その先読みは敵の行動だけでなく、見方の兵に対しても、ローマの内政に対しても行われる。敵の1手先を読むのであれば並みの武将である。彼のように2手も3手も先を読み効率的にガリアを平定に向かわせたのは、その類稀な能力であったようだ。まるでローマ全体を空から見下ろしているかのような彼の視野を彼は一体どこで会得したのだろうか。その答えを得られず、気になって仕方がない。]]>
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